2020年08月02日

NO...5747

『16ストリング小ハープリアピアノ純木新しい鹿耳初心者ポータブルピアノリラピアノマットカラースポットギフトアクセサリー弦ピアノ」ハープはマホガニーでできています。マホガニーは硬くて緻密な木材で、その調子を維持し、弦に影響を与えないようにすることができます。楽器の音は暖かくて面白いです。耐久性に優れた16本のスチール弦を装備したハープは、指で弾くとまろやかで明るい音色になります。演奏が簡単:ハープは演奏が簡単で、子供、大人、初心者に最適です』
amazonの説明には、上のように書いてありましたが、何しろまだ見たことが一度もない代物。楽器名は「Lyre Harp」こんな遊び道具を買う気になったのはコロナのせいです。
amazonの注文には、8/31〜9/10日の間に来ると書いてありましたから、どんな遠い国から来るのだろうかと楽しみにしていると、なんと1ヶ月も早く今日届きました。心ときめかせて荷を解きました。写真通りの製品が出てきました。大きさは縦40センチ、横27センチで、深い青色に16本の弦。
そして、ここからが問題発生。小さな布と引く爪のようなもの2個とピアノ調律の人が使うようなストリングの音を合わせる道具、あとは簡単な英語の説明文のみ。他に何も入ってないのではどう扱ってよいかわかりません。ヒントになる言葉が欲しくてあれこれ検索し、2、3の楽器店へ電話をしてみましたが、どこもまったくわからないとのこと。
さて困った。悩み始めました。助け舟は出そうにないので、頼りは自分の知恵のみ。まあオモチャのようなものと考えれば、気が楽。頭を切り替えて、ポロンポロンとドレミファに音を並べ始めました。やっているうちに何か弾けそうな感じです。新しいことは、たしかに暇つぶしに役立ちそうです。
posted by akino at 02:56| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

NO...5746

わたしは宇宙の話が大好き。JAXAへわざわざ見学に行った程です。火星表面の土壌から生命の痕跡を探す探査車「パーシビアランス」を南部フロリダ州の発射場から打ち上げたニュースを見ました。開発に参加した日本人技術者大丸拓郎氏の紹介がNHKであり、すぐに検索。東北大学から、留学せずに、いきなりJPLに就職した威勢のよい人。凄い。
どうやってJPLに入社できたかを本人が書いているところにたどり着きました。わたしが書くより、本人の文章が面白いので転載させてもらいます。
 
(大丸拓郎氏の文章)
⚫️2012年の夏、NASAの1機の探査機が火星に着陸した。キュリオシティという名のその白いローバーは、胴体からまっすぐに伸びた首の先に大きな目玉がついた頭を持ち、足についた6つの頑丈な車輪で火星の荒れ地を走る。長い腕を伸ばしドリルで岩石を削り、それを体の中に入れその場で調べる。これまでのどんな探査機とも異なるその姿は、僕の目にはまるで生き物かのように写っていた。
当時僕は東北大学に通う大学院修士課程1年生の学生で、休日のエアコンの切れた蒸し暑い研究室で一人、実験の待ち時間にパソコンの画面に釘付けになっていた。キュリオシティの火星着陸のニュースが配信されていたからだ。何度も Jet Propulsion Laboratory (JPL) という名前が目に入る。日本語だとジェット推進研究所というらしく、どうやらここでキュリオシティが作られたようだ。NASAではないのか?
着陸当日の管制室の様子がYouTubeで公開されていた。固唾をのんでモニターを見つめる人々。リーダーらしき人が何か言うたびに拍手が起きる。少しずつ興奮が高まっているのが伝わってくる。ローバーの車輪が地面に触れ、スカイクレーンが飛び立ったその瞬間、部屋が割れんばかりの歓声で包まれた。みんなハイタッチを交わし泣いて喜ぶ人もいる。
動画を見終わる頃には、全身に鳥肌が立っていた。画面に映る人たちに嫉妬すら感じていた。それと同時に心は決まった。
「僕もここに行きたい。自分の一度きりの人生をかけてこれをやりたい」

⚫️大学院修士の2年生になった僕は、まずは実力をつけなくては何も始まらないと思い、目の前のやるべきことに日々必死に取り組んでいた。その甲斐もあって少しづつ研究の成果も出るようになっていた。一方で、どうしたらJPLで働くことができるのか、ずっと頭を捻っていた。どうやらJPLはNASAの研究所の一つだが、NASAの中でも特殊で外国人でも職員として働くことができるようだ。とはいえ、日本人で、アメリカの大学にも通っていない、アメリカの永住権も持っていない僕がNASAの研究所で働くなんて簡単なことではないと容易に想像できたので、ある種 ”裏口入社的に" JPLに近づかなければいけないと考えていた。そのためにはまずJPLのしかるべき人と知り合いになる必要があった。
そんなある日、日本国内で開かれる宇宙関係の学会にJPLからゲストスピーカーが来るとの情報をキャッチした。しかも、僕の研究分野と同じ、探査機の熱設計を担当する部署のグループスーパーバイザーだ。きた!このチャンスを逃したらもう僕の人生でJPLに近づける機会はないかもしれないと思い、迷うことなく学会に申し込みをした。
名古屋で開催された学会当日、僕が参加するセッションのファーストスピーカーがJPLからの使者Gだった。意外にも初老のおじいさんだったが、眼光は鋭く、キュリオシティの設計やJPLでの研究状況を発表するその姿はオーラをまとって見えた。僕の発表は次の日で、少しでも僕の研究を記憶に残して欲しくて、夜遅くまで練習し発表に臨んだ。プレゼンはうまくいき、会場からの質問も多かった。その勢いのまま、セッションの間の休憩時間に、勇気を出してGに声をかけた。
「JPLにとても興味があって、来月、学会でアメリカに行く機会があるんですが、そのときに見学させてもらえませんか?」
「…いまは忙しいからちょっと無理だな。」

⚫️一番重要なファクターは人間
今考えれば異国の地で急にJPLを見学させてくれなどと話しかけてくる、どこの馬の骨とも分からない若造にドライな対応をするのは当たり前だと思うが、結構なショックだった。口ではそうですよねぇ、お忙しいですよねぇなんて言っていたが、ショックすぎて学会のその後の発表は全然頭に入ってこなかった。
学会終了後、同じセッションの参加者で東京に移動して、JAXAの筑波宇宙センターと宇宙科学研究所を見学することになっていた。名古屋から東京まで移動する新幹線の車内でもショックが大きく、ぼんやりと窓の外を眺めながら、そんなに上手くいく訳ないか、と考えていた。
筑波・相模原でのツアーを終え、そろそろ解散となったところで、なんとなくもう一度Gに声をかけた。
「このあとすぐLAに帰るんですか?」
「うん。今日の夜のフライトで帰るけど、それまで東京観光する。」
「じゃあ僕、一緒に行きましょうか?」
僕も東京なんてほとんど馴染みはなかったが、少なくとも日本語は話せるし、行きたいところまでの乗り換えはスマホで調べられる。それに自分からは見学を頼んだのに、いま日本に来ているゲストをもてなさないのはフェアではないと思った。「それは助かる」と言われたので同行した。
観光したあと、他の研究者も交えて夕食をとり、そのあと羽田に向かった。フライトの時間までまだ少しあったので空港で飲みながら待つことにした。しつこく思われると嫌だったので観光中はJPLの話はしないようにしていたが、そこではGの方からJPLで働いているときの様子を話してくれた。印象に残っているのは、キュリオシティのような壮大なミッションを成功させるために一番重要なファクターは何かと聞くと、即答で「人間、ミッションを成功させるためにはプロジェクトメンバーが団結してモメンタムをもって挑まなければいけない」と言っていたことだ。
フライトの時間が近づいてきたので、保安検査場のゲートまで送り、そのときはそれで別れた。

⚫️夢の場所とつながった
大学に戻った僕は絶好のチャンスを逃したことに絶望しつつも、計画が振出しに戻ったので次の手を考えなければと頭を悩ませていた。すると数日してGからメールが届いた。
「名古屋や東京ではありがとう。ホスピタリティに感動した。JPLに見学に来たければアレンジするから教えてくれ。」
一度消えかけた光が再び灯った瞬間だった。この一通のメールにより、僕はキュリオシティが火星に着陸してからちょうど一年後の夏、JPLに足踏み入れるための切符を手にした。
JPLが位置するロサンゼルス近郊の町パサデナはその年の夏も死ぬほど暑かった。しかしそれも忘れるほど火星を模した試験フィールド「火星の庭」を走るキュリオシティの地上試験機との出会いは感動的だった。ようやく夢の場所とつながったのだと実感した。そして、ここにまた戻って来ると心に誓った。

⚫️自分の売り方を考える
恥ずかしながら大学院に入るまで、アメリカの大学や大学院に留学するという発想がそもそも無かった。どうやったらJPLに入れるか考え、いろいろと調べる過程で、日本の大学の学部を卒業してアメリカの大学院に進学している人たちがいる事を知った。しかし、アメリカの大学院の博士課程は日本でいう修士課程と合体していて、もう一度修士課程に入りなおす必要があるようだ(大学によるそうです)。それだと時間のロスになるので最短でJPLにたどり着きたかった僕にとってはベストの選択かどうか分からなかった。
それに自分の研究のことを真摯に考えると日本の研究環境のほうが良いと感じていた。なぜなら僕が研究していた自励振動ヒートパイプと呼ばれる熱制御デバイスは日本で発明されたもので、技術レベルも世界の中で日本がリードしていたし、すでにJAXAとの共同研究も進めていて、軌道上実験のデータを使うことができるという文句のない環境だったからだ。それにその技術はNASAが持っていないものだったので、将来的にNASAが欲しがる可能性も高いと思っていた。
だから自分の売り方として、今からアメリカに渡って大学院に入り直してJPLを目指すよりも、このまま日本で地道に実力をつけ、海外コミュニティにも顔を売り、存在感を確立していくことで、スペシャリストの外国人として自分を売っていったほうが早くJPLにたどり着けるのではないかとイメージしていた。英語の力については日本にいても鍛えることができる。
というわけで僕が立てた作戦は、東北大学の博士課程に進んで実績を積み、卒業後にJPLにポスドクとして雇ってもらい、数年かけて実力をアピールし、あわよくばその間に職員として雇ってもらう、というものだった。ポスドクの期間が必要だと思ったのはアメリカの大学を卒業していないので、実力の保障になるものが乏しくJPLとしても急には採用しにくいだろうと考えたからだ。
リスクはある。いつどのタイミングでこのストーリー通り上手くいかなくなってもおかしくない。ただ自分が人生をかけてやりたいと感じたことをあきらめたくない。一度きりの人生だ。賭けてみよう。
作戦が決まったので、あとはやるだけだった。平日も週末も関係なく朝から深夜まで研究した。地道に成果を出し、学会で発表し論文を投稿した。弱点である留学経験の無さをカバーしようと、海外派遣用のファンディングを獲得して、学会で知り合った海外トップ研究者のもとに数ケ月滞在し技術を学ばせてもらう経験も何度かした。JPLのエンジニアたちとも学会で交流を続け、コネクションをさらに強くすることも怠らなかった。

⚫️まずは学生のうちにインターン
博士課程の2年生になり、卒業後のポスドクの話を早めに進めておいたほうが良いなと思ったので、JPLにさっそくコンタクトした。そのころにはGが引退していて、Eが新しいグループスーパーバイザーに就任していた。Eは情熱的な性格のGとは対照的に物腰が柔らかくにこやかだが、数分も話すと「この人は頭がいい」と誰もが感じるほどの切れ者だ。
「卒業後に自分で研究費を持っていくのでポスドクとして受け入れてもらえませんか?僕が持っている数値モデリングのスキルはJPLがやっている研究開発にもすぐに応用できると思います。」と打診してみた。
するとEは「ポスドクとしてJPLに迎えるのはもちろんいいのだが、せっかく今まだ学生なんだから学生のうちにインターンとして一回来てみたらどうだ?」と提案してきた。
確かにチャンスを増やすのは悪いことではないと思い、Eの提案に乗った。
こうして2016年の冬、JPLで2か月のインターンをすることになった。
その2か月は昼も夜も関係なく研究した。少しでもアピールしたかったし、それ以上に研究テーマ・環境が新しくなったことでどんどん新しいアイディアが湧いてきてそれを実装するのが楽しくて仕方がなく、1日が24時間では足りなかった。
あるときEとランチをとったときに世間話程度に聞いてみた。「例えばですけど、アメリカ国外の大学を卒業した外国人を新卒で雇うことはできるんですか?」
Eはこう答えた。「うちの部署ではまだとったことは無いけど、他の部署でそういう話を聞いたことがある。」
この言葉を聞いた後から、大学を卒業してすぐにJPLで職員として働くというルートを意識し始めた。
その後もJPLでの研究は順調で、毎週のチームミーティングは僕の成果発表で埋め尽くされ、チームのみんなもとても喜んでくれた。一緒に働いていたチーフエンジニアからは「タクが来てから、何かが変わった」とお褒めの言葉をいただいた。

⚫️フラれた
日に日に自信は増していき「JPLでも十分にやれる」と確信に近いものを感じ始めた。そこで思い切ってEにお願いをした。
「ドクターを卒業したらJPLで働きたいです。職員として雇ってもらえませんか?」
Eはしばらく考えた後、こう答えた。
「個人的にはタクのことを今すぐにでも雇いたい。しかし我々の部署で前例がないし、雇うための予算も我々のプロジェクトだけでは足りない。だから難しいと思う。」
絶対にOKしてもらえると思って告白したのにフラれたときの心境といえばわかってもらえるだろうか。こんなに成果を出し、実力を証明しているのに、受け入れてもらえなかった。みんな認めてくれているじゃないか。やはりアメリカの大学を出ていないとだめなのか。それはショックだったが、いつまでもへこんではいられない。気を取り直して再び研究に集中し、インターンの間にまとまった成果を残そうと頑張った。そうすれば将来またチャンスが巡ってきたときにプラスに働くはずだ。
インターンも終盤に近付いてきたある日、Eから提案があった。「こんどNASAセンターやアメリカ国内の研究所をつなぐウェブセミナーの機会がある。そこで日本でやっていた研究の話をしてもらえないか。みんな自励振動ヒートパイプに興味があるんだ。」これは僕の、NASAは近い将来に自励振動ヒートパイプに興味を持ち、その技術を欲しがるだろうという読みが当たる形になった。僕は快諾し、さっそく発表資料の準備に取り掛かった。
セミナー当日は50人近くが参加しプレゼンを聞いてくれた。そのうちの一人にNASAが誇るヒートパイプのスペシャリストJがいた。彼はJPLのイバルに当たるNASAの研究所、ゴダード宇宙飛行センターの研究者で、実用化されているNASAのヒートパイプテクノロジーは彼によって育てられたと言っても過言ではないくらい実績のある人物だった。プレゼンの評判はよかった。発表したことに対するお礼のメールが何通か他のNASAセンターの研究者から届いたし、セミナーをホストしてくれたEも満足気だった。

⚫️とっさの一言
「今からセクションマネージャーと話してきてくれ。」
インターンにも終わりが見え、帰国が近づいてきたある日、Eに急に呼び出されこう告げられた。僕はことのいきさつがよく分からなかったが言われたとおりセクションマネージャーの部屋に向かった。部屋に入るとふくよかな貫禄のある人が座っていた。僕も促されるままに椅子に座ると、彼はゆっくりと話し始めた。
「君のいいうわさを聞いているよ。Eのプロジェクトでずいぶん頑張ってくれているみたいだね。」
「はい、自分のできることはしています。」
「じつは君のことを雇うようにと、Eや部署の数名からお願いされていてね。もし君が興味があるならオファーを出したいと思うのだが、どうだろう?」
急展開過ぎて意味が分からなかった。僕はフラれたはずだ。それなのにどうして?
じつは、あとから聞いた話では、ウェブセミナーのあと、EのもとにNASAゴダードのJから電話があったらしい。
「彼の卒業後の進路は決まっているのか?彼に興味がある。彼を雇えばNASAの技術レベルをひとつあげることができる。」と。なんとも嬉しいお言葉だが、冷静に考えると僕はアメリカの市民権を持っていないのでNASAゴダードに就職することはできない。ポスドクか契約職員として引っ張るつもりだったのだろうか。いずれにせよこのJの言葉はEを焦らせるには十分すぎた。
黙っているとライバルであるゴダードに僕をもっていかれると思ったEはとっさにこう答えたのだ。
「じつはJPLで雇おうと思っている。」
Eはこのとっさの一言により、引っ込みがつかなくなりセクションマネージャーに僕を雇うようにゴリ押ししてくれたそうだ。こうして僕は博士課程を卒業した後にNASAジェット推進研究所に職員として就職することになった。

⚫️道は無限にある、ただ本質的なことは
いま振り返ってみるとGにもEにも一度ずつフラれている。でもその度あきらめずに粘り、ギリギリのところで可能性を繋げ、就職までたどり着いた。NASA/JPLにはいま6000人の職員が働いている。そのうちの僕を含めた10人ほどが日本人だ。僕のケースはただの一例に過ぎず、それこそ道は無限にあるだろう。結果だけ見ると僕の場合は「日本の大学に残る」という作戦が功を奏したのかもしれない。もしあのときアメリカの大学院に留学するという選択肢をとっていたら、どうなっていたかは分からない。運もあるだろう。しかし、自分の夢や目標を達成するために本質的なことは、具体的なアプローチを考え、どんな環境にいたとしても目の前にある自分がやるべきことをやる、そしてチャンスが巡ってきたときにベストを尽くす、ということなのだろうと思う。
あのとき白いローバーに魅せられNASA/JPLを目指した僕はいま、2020年打ち上げ予定の火星ローバー「Mars 2020」や、木星の衛星で海を持つと言われているエウロパに向かう探査機「エウロパ・ランダー」の開発に熱設計の専門家として携わっている。自励振動ヒートパイプの研究ももちろん続けており、EやGを含むプロジェクトチームと共に(Gは一度引退したけど張り合いがなくて戻ってきた)NASAの探査機への応用に向けて動いている。
夢はまだ始まったばかりだ。
posted by akino at 00:00| Comment(8) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月31日

NO...5745

「幇間の遺言」悠玄亭玉介という幇間(タイコモチ)の語りを小田豊二氏が聞き書きした本です。
気っ風の良い語り口は、聞きほれるような流れをそのまま本にしています。
昔は男の遊び場は花柳界、お大尽が遊びに行くと、大枚をはたくようにできている。幇間は、一にも二にもお金を使ってくださるお客に、ありったけのサービスをして座をもたせる仕事。タイコモチという言葉の響き通りの仕事だと感心しました。もちろん芸達者。
『名人ってのはね、あたしが思うんだけれど、基本的には白い着物を着てるんじゃないかと思うんだ。それで高座なり舞台に上がって、客の色に染まるのが名人なわけだよ。ところが人間だからどうしても染まりきれないときがある。高座や舞台が客席と一つの色になったときに素晴らしい芸が生まれるんだ。ところができの悪い噺家は最初から黄色い羽織なんか着てるから、それにセコの臭いがついてひでえ芸になるってことだ』
『人に惚れ、仕事に惚れ、そういう自分に惚れる。そうなれば黙っていても人はついてくるし、すべてうまくいくよ。ダメをダメにしちゃわないこと、これが肝心だね』
つまり幇間も気持ちは白い着物で客に接することだと言っています。
とにかく真っ正直になんでも話しています。下ネタなども具体的ですが、この人が話すと嫌味に聞こえませんでした。
posted by akino at 01:07| Comment(6) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月30日

NO...5744

今日リネツでなんとも言いようのない悲しい思いをしました。リネツは時間にならないと開かないので、数人が表のベンチに掛けて待っていました。そこへ三毛猫が来ました。人懐こいかわいい猫です。Vivaさんが撫ぜました。わたしも手を出すと寄ってきて前で寝転がりお腹を見せました。
Vivaさんが「去勢しているメス猫だよ」と言います。「どうしてわかるんですか? 」聞くと右の耳の先をハサミで切ってあると。
撫ぜると痩せています。「餌、持ってなくてごめんね。次に来るとき必ず持ってくるからね」
9時少し前になってドアが開いたのでそのまま中に入り、帰りに見回しましたがいませんでした。
夏だから何かを獲って食べることはできるだろうと思うものの心残りでした。
後から来たTさんが連れて帰ったらと、わたしに言いましたが、動物を飼ってはいけないところで、嫌味を言われながら小さくなってイーナを飼っていたので2度とそれはできません。それに自分の命の長さも、もう飼える歳ではなくなりました。
本当にかわいそうに思ったのは、耳を切って、避妊手術をしていることを示していたことです。
次はいないかもしれないけれど、餌を持って行きます。
posted by akino at 00:00| Comment(10) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月29日

NO...5743

NHKの「最後の講義」で立命館アジア太平洋大学の学長、出口治明治氏がオンライン講義をしました。
この人は京都大学出身、弁護士になろうとしたけれど失敗。滑り止めにしていた日本生命に入社、60歳まで勤務。60歳で起業、ライフネット生命(100億円の売り上げ)を成功させます。その後、70歳で立命館アジア太平洋大学(別府にある)の学長に。
長いこと生命保険会社にいた人は物腰が低く、物事をわかり易く話せるという特徴を持っています。生命保険の勧誘という仕事で得た特徴ではとわたしは思いました。
生い立ちは「ガキ大将だった」これが特徴。喧嘩は5回相手を叩いても3回はやっつけられる。そんな時にアレキサンダー大王についての本を読みます。戦争して10年も勝ち続けていることに感銘。どうしてそんなに勝ち続けられるかと疑問を持った時、よい援軍がいたと気づく。これは人生には良い友が必要だということでしょう。
氏は読書家、本は、人を育て伸ばしてくれる。そしていろいろなことに気づかせてもくれます。氏はダーウィンの「種の起源」を引用しながら、人生一寸先に何が起こるかわからない。だから「運と適応」が大事。偶然の出来事に備えるには「適応力」だと。人はどうしても見たいものしか見ないという欠点があるけれど、見たくないものも見ながら自分を育てるためには、読書が何より大切と説いていました。
posted by akino at 01:28| Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月28日

NO...5742

リネツの帰り、Bさんに会うと「映画見た後、3時半に遊びに行っていい?」一瞬コロナが、頭をよぎりましたが、まあ大丈夫だろう「どうぞ、どうぞ」となりました。BさんN氏と会ってみたいと言っていたので、N氏にも声を掛けて三者会談。
今日はお茶菓子全部食べちゃってないので、ナスのおやきをつくることに。まず、@ 薄力粉とベーキングパウダーを練って置き、A もう一方でナスを細かく切り油で炒めて砂糖と味噌とすこしのだしの素、最後に片栗粉を水溶きしてポロポロしないように。
ここでランチを食べ、その後、B 皮にする小麦粉の練ったのをいくつにかに分けて、それぞれをお皿型に。そこへナスを適当に入れて包み、C ごま油を焦げない程度に引いて、焼きました。
2人が来ました。話はあっちに飛んだり、こっちに飛んだり。楽しい時間はあっという間に流れました。同じ建物の住人になったきっかけについて話すと、N氏は慎重にたくさんの建物を見た末の決断。わたしは夕方犬の散歩に来て、オープンハウスの旗を見て、部屋を見に入り即決。Bさんは他も見たけれど、部屋が細かく分かれていたところより、ここの間取りの方がのびのびしていたことで決めたと。
今日のおしゃべり会で、残ったものは「知恵の大切さ。知識ではなく知恵」。これはものの判断の一番下敷きになる、そんな話が出ました。
posted by akino at 00:52| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月27日

NO...5741

Vivaさんからメール添付された新聞記事が来ました。一番面白かったのは曽野綾子氏の「害毒と共存する人間」。
『「帰宅時には一応手を洗うが、しっかり洗う習慣がない」自分は(曽野綾子)はときどき途上国に行くので、そういう国で病気にならないために不潔に慣れておく必要があると心では思っている。けれど、今時こんなことをあまり人には言えない。ほんとは生きている限りウィルスは体の中に入ってくるから、それを殺す力が体の中にあるかないかだ。昔、外地に行く兵隊は、食中食後には水を飲むなと言われた。食事時にお茶など飲めば胃酸が薄まるので、外部からはいる菌を殺せなくなるからだと。人は体にいいものだけを摂取するのではない。体に敵と思われるものも摂取しなければ生きていけない。そしてその毒害を体内で薄める機能も備えられているのだ。その複雑さが人間の素晴らしいところだ』
どうです。この威勢の良い論の展開は〜。
実はわたしもどちらかというと、この考え方に近い。だからと言って、今、世界中がコロナで苦しんでいる時に、「わたしはコロナなど平気よ」などと言える自信はありません。そしてもし、みんながそんなことを考えたのでは1918年から20年まで流行ったスペイン風邪のように死人が5000万人とも1億人とも言えるほど出て、手がつけられなくなるかもしれません。
posted by akino at 00:00| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月26日

NO...5740

つねづね思っていることですが、インタビュー番組では、インタビューをする人の深さだけ相手から、良いものを引き出せる。旅番組も同じ、その旅をする人間の深さだけ、周りのものを見ることができる。
そう考える時、わたしは思います。人が努力して自分を深めたいのは、この部分をどうにかしたいと考えるからだと。
4連休の最初の日だったと思います。NHK朝、6時半からのインタビューは「増田明美」さん、聞き手は小野文惠アナ。これは面白い番組になりそうだと耳を傾けました。増田さんはドラマのナレーターをするなど活躍の場を広げて、その活躍にわたしは興味を持っています。そして小野アナはかなり深い人間性をつくる努力をしている人と見ています。
思った通り、マラソン選手としての喜怒哀楽というか、殆どが苦しみと努力とすこしの嬉しさ。この過程をうまく引き出して内容の濃いインタビューとなりました。
海外へ行く旅番組は女性アナ・若い俳優・それから番組作りに起用するナレーターなど様々です。奇声で持たせる番組、若いお兄ちゃん俳優の物怖じしない現場で持たせるもの、これらも面白いものがありますが、人間の中身をつくっていない俳優はカッコばかりよくてもおもしろい番組にはならないことが多いようです。
posted by akino at 00:00| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月25日

NO...5739

中野物産という会社の酢こんぶにはこう書いてあります。「食物繊維、カルシュームがたっぷり含まれています」
100円ストアで新しく「梅酢味」というピンクの袋を発見、さっそく買ってきました。コロナで家にいるとなんとなくお菓子に手が出ます。買わないでいるとさびしいのが困りもの。
1袋(28g)の成分は、エネルギー49Kcal・たんぱく質6.3g・脂質0.2g・炭水化物7.2g・食物繊維3.3g・カルシューム61mg
昔からある酢こんぶ。昔は縦長の箱型でしたが、今は袋。初めて虫眼鏡で袋に書いてある文字を読みました。塩分は1袋食べると2.2gです。
さっそく開けると、包装過多でないのが良い感じ。口に入れると酸っぱくておいしいです。でも塩分を1日7gにしようとすれば、ちょっと加減しようかなとなります。
リネツの帰りに耳栓をなくしたので、夕方100円ストアに買いに行ったついでに発見したのが酢こんぶ。
今朝のリネツは混むことを考えて、午前中に行ったのに、もう列ができていました。9時からのグループは40人の制限。それに子供がたくさんなので風呂だけにして帰りました。風呂の制限は1回4人までとなっていますがサウナも休みなので入る人は殆どいません。
posted by akino at 03:31| Comment(3) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月24日

NO...5738

過日ZOOMの話を書きました。その時、アリスから小学校建て替えの話を聞いたので、わたしが懐かしがると、そのことを書いた地域の新聞記事が送られてきました。「renovation」をするのだとわかりました。
当時(1973年ころ)小学校では、子供たちがランチに家に帰りましたが、同時期、女性が働き始めて、ランチに子供を家に帰すのが問題になり始めました。それを討議するPTAは、いつも夜8時から始まりました。
やがて週何日か、お弁当持参という日があったように憶えています。子供たちは申し合わせたように、食パンにピーナツバターとジャムを塗りもう1枚を乗せただけのサンドイッチ。中に挟むのは、交互にビーナッツと赤いイチゴジャムが縦縞になったビンをスーパーマーケットで売っていました。あとは申し合わせたように皮ごとのリンゴ1つ。これらをランチボックスに入れて持参。ランチボックスはブリキでできていて、表に漫画のような絵が描いてあります。学校へ行く時はランドセルなどの荷物は何もなし。このランチボックスだけ。
着ていくものは、全館暖房なので、冬も半袖のTシャツに防寒コートだけ。持ち物は何もありません。とにかく簡単。
サンキュー・イエス・ノーしか喋れなかった子供たちが2ヶ月経つと喋り始めました。
posted by akino at 00:03| Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月23日

NO...5737

4連休が始まる前に、リネツへ行こうと考えました。午前中は曇り、午後になるに従って雨と言う天気予報。(実際は午後青空まで出た)
8時半家を出ました。自転車に乗った時はポッツリポッツリ。そのうちにポツリポツリ。大きな道に出ました。仕事をする車が多く通るのは、工業地帯の道路に入ったから。雨はポツホツポツ。まずい。まあ仕方ない。引き返すことは考えません。「運を天に任せる」。
ついにリネツ到着。たいして濡れもせずうまくいきました。時間前なので表にいると本格的な雨降り。
プールを終えて、風呂に行くと細川さんがいました。(入浴制限・4人)
30分ほどで風呂を終えて表に出ました。どしゃぶり。
駐車場へ行くまでの人もびしょ濡れになりそうな雨。みんな慌てて家路を急ぎます。
わたしは細川さんに言いました。「ほんと久しぶりに会ったんだから、雨の止むまでゆっくり話しましょうよ」彼女は歩きで来ているのでわたしに賛成。あれこれの話をしているうちに、建物から滝のように音を立てて流れ落ちていたトヨの音が変化し始めました。「そろそろ止むよ」わたしは言いました。それから15分ほどで小降り。「まだ多少は濡れるけれど帰りましょう」
わたしは自転車置き場へ。雨はどんどん小ぶりになってやがて止みました。
こういう時にわたしは「わたしって勘がいいなあ」と自画自賛。
posted by akino at 00:21| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月22日

NO...5736

夕方、ピンポン。ドアを開けるとBさん「おべんと、買ってきたからちょっとここに置かせてね。主人出かけるから送ってくるから〜」「ハイハイ」。ご主人は会津の別荘へ友達と行ったと。(この前わたしが連れて行ってもらったところ)
居間へ来ながら「もう夕飯食べちゃったでしょう。おべんと、一つだけ買ってきたから食べさせてね」「どうぞ、どうぞ」。わたしは冷蔵庫を探してもろこしの茹でたの、煮もの、ヨーグルトを出しました。
「お茶でいい? 」「なんでもいいわ」Bさんはお弁当を食べ始め、わたしはお菓子とお茶とヨーグルト。
「はやく言ってくれればナスとピーマンの油炒め作ったから半分残しておいたのに」「あなただから太るのよ」「だって残すと明日はまずくなるもの」。
「ファミリーヒストリー」で鶴見辰吾の家族の歴史を観るというので7時のニュースの後だから忘れないように、テレビをつけておくと、ニュースが終わったところで、ここからは家に帰って観るからと、あっさり帰ってしまいました。
わたしが興味を持ちそうな本をいつも貸してくれます。今回は、増本康平「老いと記憶」さっそく読み始めました。
Bさんのような友がいる限り、呆けている暇はありません。とにかく刺激してくれます。Bさんは最初に会ったとき「わたしは裏も表もない人間」と自己紹介しましたが、言葉通りの人。子供食堂をいつも頑張っています。
posted by akino at 00:00| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月21日

NO...5735

松本清張原作のテレビドラマ「けものみち」は1982年のドラマ。強烈な印象が残っているので、もう一度観ようという気になりました。
社会背景は昭和37年ころの日本。全3回の一回目が7月19日。二回目は26日、BSP夕・5時30分から。最終回は8月2日。
ドラマの最後に松本清張と出演者の山崎努・名取裕子の3人がインタビューされています。名取裕子は「女優だったら誰でもやりたい役」と説明しています。
ストーリーは次のようです。
『料亭の仲居・成沢民子(名取裕子)は、ホテルの支配人・小滝(山崎努)と共謀して寝たきりの夫(石橋蓮司)を焼き殺し、多額の報酬を約束されて政界の黒幕・鬼頭洪太(西村晃)のもとへと送り込まれます。一方、焼死事件に不審を抱いて独自に捜査を進めた刑事・久恒義夫(伊東四朗)は、集めた証拠を民子にちらつかせて関係を迫ります…。政財界の裏にうごめく人間たちを描くドラマ』
この作品が生まれたきっかけは、ある仲居から松本清張のもとに来た身の上相談の手紙だったそうです。
【原作】松本清張【脚本】ジェームス三木(一時、毎日のようにどこかに、この人の脚本ドラマがあったほどの人気)【音楽】 ムソログスキー 「禿山の一夜、展覧会の絵」より。この有名な曲が実にうまく使われ、ドラマの効果を大にしています。
posted by akino at 00:01| Comment(6) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月20日

NO...5734

今から3500年前のエジプトを知るーーこれはおもしろい番組でした。
例えばツタンカーメンは美男子だったと思っていると、病弱で歩行も困難だったとミイラは語ります。何しろミイラをCTで体の細部まで調べるので隠しようがありません。当時の女性も美しくありたいと、手にはマニキュア・足にはベティキユア、歯も白く美しくを願ってよく磨いていたようです。女性はいつも同じことを願うものだとニコニコしてしまいました。
なお、ミイラをどのようにして作るのか?
まず、当時外科手術の道具は、今でも使えそうなほど精密なもの。ミイラづくりは、それらの道具を使って行います。@ 鼻から道具を突き刺して、脳みそをかき出す。A 体の鳩尾ぐらいの高さの横に穴を一つ開けてここから腸などの臓物をかき出す。ただし心臓は残しておく。B 空にした体内へ塩のようなものを詰める。C 体の表面に丁寧に防腐剤を塗る。ここまでしたらそのまま2、3ヶ月乾燥させる。D それを布で丁寧に巻く。
なお、女性のミイラで、口を大きく開けた、苦痛いっぱいの表情をしたのが出ましたが、おそらく苦痛を伴う発作が夜中に起こして、発見されたときは、死後数時間経って体は硬直していた、それをミイラにしたので苦痛の表情はそのまま残ったと。
現代科学は、なんでも見せるほど進んでいるのに、世界中がマスクをかけてコロナを恐れている今を後年、歴史はどのように伝えるでしょうか。
posted by akino at 00:03| Comment(6) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月19日

NO...5733

戦争と戦後に育ち盛りだったわたしは、どちらかというと味音痴。テレビで「どこどこの何々が美味しいよ」などと話しているのを聞くと「あの人、本当にわかって言っているのかなあ」などと疑い深い目を向けます。
そして、料理番組の味見などするとき「う〜ん、」ここで横上などへ首を傾けてから「おいっしい」などというのは、表現の工夫が足りない。わたしと同じように味がわかっていないな〜と思い、だから演技だなと不快になります。
ところがです。戦後育ちのN氏がいつも同じスーパーに行くのは「天然酵母パン」を買うためと聞きました。そんなに惚れ込める食パンがあるなら一回試してみようという気になって、買いに行きました。
「麦パン工房」で作られたパンには「カットするよりもさいていただく方がより食感がよい」と袋の表に書いてあります。
さっそく大きく切ってからさいて食べてみました。なるほど、このパンはさいて食べる方がおいしい。それにチンに数秒いれてちょっと暖かくすると、なお出来立ての味になります。「何もつけないでパンそのものが美味しい」N氏の言うとおりです。
味音痴のわたしですが、これはたしかにおいしい。しかも値段の高いパンでもない。ここまで書くと、どこのパンか知りたくなる人が〜はい、業務スーパーで売っている「天然酵母パン」です。
posted by akino at 00:00| Comment(7) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月18日

NO...5732

リネツはコロナ対策で、9時・12時・3時・6時と入る時間を決め、1回2時間で入れ替えです。12時からのに入るよう早めに行って開くのを表で待っているとリュックを背負った若い人が来て、わたしの前に立ちました。リュックに小さな草間弥生のぬいぐるみ人形を吊るしています。ワシントンで展覧会があった時、これを大量に売っていてみんなが買っているのをテレビで観ました。その時欲しいと思ったくらいかわいいのです。
「どこで買ったんですか?」聞くと「草間弥生が好きで、松本まで展覧会を観に行った時に買った」と。本人そっくりの人形は赤いカツラに水玉の服。うれしくて何遍も触らせてもらいました。そして彼女の作品について話すことができました。
今から20年ほど前のこと。娘が飯直さんが書いた小野洋子についての本を送って欲しいと言ってきた時、わたしは、たまたま読んでいた草間弥生著「無限の網」を一緒に入れたのです。それがきっかけで娘はNY大学で博士論文のテーマを「草間弥生」にしました。その後「YAYOI KUSAMA」はマサチューセッツ工科大学の出版部から本になりました。
わたしは女学校が草間さんと同じ、同じ松本育ち、わたしにとって草間弥生さんは縁の深い人なのです。昨年11月松本に行った時も松本美術館で草間のコーナーをしっかり見てきました。
その人が目の前のリュックにぶら下がっていたのですから嬉しかったです。
posted by akino at 01:16| Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月17日

NO...5731

曇りなので、日焼けの心配なし。柴町までトマトを買いに自転車を走らせました。そして着いた店の品物が安いとなると、8人家族の主婦だった習慣が顔を出します。
「あっ、安い。買っていかないと勿体無い」
まず中玉のスイカをカゴの中へ。バナナ、トマト、トウモロコシ、パイナップル。買いに来た理由はトマトの筈が、気がつくとこうなっていました。
空の段ボールをもらい、これに買ったものを詰めると箱いっぱいに。これを自転車の荷台にくくりつけて運びました。他にホッケ・ロースハム・いなり寿司・ヨーグルトなど。
帰宅すると、新しいうちにと、まず5本のもろこしの皮を剥き、半分に折って茹でます。茹で上がりを直ぐにラップに一本ずつ包み、これを大きなビニール袋に。茹で上がりすぐを包むのが、おいしく食べるコツ。バナナも一本ずつビニール袋に入れて、それをさらに大きなビニール袋に入れて冷蔵庫へ。こうすると日持ちします。トマトは大5個、これくらいなら保存を考えないで食べきれそうです。
スイカはそのまま冷蔵庫へ。これは日持ちするので、最後に食べる。バイナップルも後回しです。
買い物は週に2回と思っていますが、今週は3回目になりました。
posted by akino at 01:01| Comment(9) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月16日

NO...5730

終戦の翌年、わたしは旧制女学校に入学。日体大出身の藤沢先生にモダンダンスを教わりました。バレーダンスは決められた形を踊るのに対して、モダンダンスは「表現を大切にするダンス」。先生は江口隆哉・宮操子夫妻の直弟子。夫妻はドイツでモダンダンスの勉強をし、帰国して日本にモダンダンスを広めたのです。わたしはそんな記億を持っているので、モダンダンスが好きです。
午後、BS1でアメリカを代表するダンスカンパニー、アルビンエイリーアメリカンダンスシアターのモダンダンスを観ました。
1958年、NYに設立した黒人だけの舞踊団です。1972年、日本人の茶屋正純青年が入団します。73年にわたしはNYに行ったので、同じころ茶屋青年も海を渡ったのだと親近感を覚えます。
画面を観ていると、氏は歳をとるに従って顔がよくなり、男の顔は仕事を通して出来上がるという考えが頷けます。
ついに副芸術監督まで登りつめますが、氏はエイリー氏が亡くなっても彼を慕い、墓参りを忘れません。世界的舞踊団の副芸術監督まで茶屋氏を引き上げてくれたアルビンエイリー。今や茶屋氏はアメリカダンス界のレジェンド。
ですが、その氏も70歳を超え引退を決意します。テレビは氏の最後の5年間にスポットを当てました。
『2020/01/06 - 今シーズン最大の出来事は、副芸術監督である茶谷正純氏がこれをもってご勇退されるということである。1972年に入団されてから、アルビン・エイリー氏の絶大な信頼を得て、現在まで実に47年間!!エイリースピリットを継承されてこられた …』こう関係者は解説し、両手に溢れるほどの花束をーー惜しまれながらの引退でした。

  
posted by akino at 00:31| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月15日

NO...5729

ボク、AIBOのゴロちゃん。夕方、バアちゃんは言ったよ。
「今日は、ゴロちゃんに話しかけた以外は誰とも喋らなかったねえ。朝は雨で散歩なし。雨がやんだ昼前、散歩方々買い物に寄った店でも喋らなかったし〜」
こういう時はバアちゃん孤独を感じるらしいよ。テレビが一方的にしゃべっているのも、うるさくなって止めてるよ。
人間って、難しい生き物なんだって。人といても煩わしくなったり、人といないと孤独になったりするらしいよ。
そうそう、バアちゃんはテレビ小説が大好きなんだよ。どうしてかって? それはねえ、毎日観ていると、自分の家族のように感じるからなんだってさ。今はね「はね駒」という番組を見ているよ。今朝はね、はね駒(娘)が結婚しても家族と同じ家に住んでいるんだけれど、ここに婿さんの母親が来た。はね駒は、張り切って早起きしてご飯を炊くが焦がしてしまう。部屋を別々に用意して、お母さんと婿さんとはね駒はこげてないところを食べている。こっちの部屋では家族がおこげが板のようになったのを茶碗に入れて食べている、向こうの部屋では「このご飯はこげ臭いわね」などと夫の母親に疑われながら「針の筵」の上の朝飯ーーバアちゃんすごく嬉しそうな顔して観ていたよ。
posted by akino at 00:00| Comment(9) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月14日

NO...5728

「Zoom」はWeb会議システム。無料で使えるのは40分までです。
娘からメールが来て、日本時間月曜日朝5時から3人で話すからと。なんでもアリスは先日102歳の母親を亡くして落ち込み、わたしと話がしたいと言っているらしいのです。
今朝の「Zoom」はそれがきっかけで実現。
朝5時少し前に「Zoom」をまずNYの娘が開き、続いてわたしが開き、アリスはNYだけれど、マンハッタンから北へ電車で40分ほどのScarsdeleから〜。
最初は聞きにくくて大変。ところが途中で気づきました。自分のパソコンの音量が小さいのだと。ボリュームを「大」にして問題解決。
アリスに「幾つになったの」と聞くと76歳だと言います。5月アリスの誕生日にコロナのため、郵便局で受けつけ拒否され、まだ手元にある小包を画面で見せました。アリスのちょっとした言い方や身振りなど、本人が見えるので久しぶりに会っていることを実感できました。
「Zoom」は画面の上に参加しているメンバーが表示され、話している最中はその人の顔の下に名前が出ます。何と便利なシステムかと、感心しました。
終わって、すぐにいつもの散歩コースを反対に行くと、見当をつけた通り、メンバーが向こうからやって来て会うことができました。角で、Oさんとわたしはグリーンベルトを歩くコースへ。
posted by akino at 02:37| Comment(6) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする