2021年02月12日

NO...5942

過日、母の勧めで女学校1年の時(終戦の翌年)洋裁を(日曜だけのコース)で習ったことを書きました。
SYドレスメーカー学院、松本に最初にできた洋裁学校です。ここに院長先生の助手に来たのが飯沼先生でした。凄い美人でしかも垢抜けた人。
今読んでいる、森まゆみ著「本とあるく旅」に先生の夫・飯沼飛行士が出てきました。森さんが、安曇野に旅して「飯沼飛行士記念館」に寄った話を書いています。わたしは記念館を全然知りませんでした。
1912年に穂高町(松本近郊)の養蚕農家に生れた飯沼少年は、松本中学(現・深志高校)から逓信省委託操縦生募集に応募、300人中4人という厳しい試験をくぐり抜けて、所沢陸軍飛行学校で学びました。1934年、純国産機(神風号)で、ロンドンーー東京間1537Kを飛行時間51時間19分23秒、給油時間などを入れると、94時間という驚異的な記録で飛んだそうです。同乗したのは塚越機関士。世界的なリンドバーグに並ぶ名パイロットと言われました。飯沼飛行士には、いろいろな国から勲章が贈られ、北原白秋は「遂げたり神風」という歌をつくりました。 
1941年飛行機整備中の事故でなくなったとか。享年29歳。
わたしがドレメで飯沼先生にお会いしたのはこの時から5年後のことでした。
posted by akino at 00:34| Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
29才とはもったいない年齢でしたね。
それであきのさんの洋裁の先生として出会えたのでしょうね。人生あやとり・・。
Posted by oss102 at 2021年02月12日 08:50
もう一度ゆっくくりコメントします。あきのさんと同じ私も洋裁はドレメでした。針仕事はすきで毎日一度は針を持つくらいです。近所の人のチョットした直し物で野菜をいただいたり又着ないと言って洋服も届くので自分のサイズに合わせて襟やポケットなど変えて使います。親が元気だったころお前はチンドン屋か?と笑われましたが他人には何も言われませんでした。ブログのコメントになっていないかな?おわり
Posted by 伊奈寿子 at 2021年02月12日 11:40
手縫いは好き、ミシンは苦手なのですが結婚前に半年ドレメに毎日通いました。なんとかスーツ上下を縫ってそこでやめました。根を詰めて縫っていたので微熱が続き両親が肺結核再発症を心配したのでした。元々嫌いなことをさせられていたのでやめたら熱もピタッと出なくなりました。あきのさんとは全然違うドレメの思い出ですね。
Posted by Unico531 at 2021年02月12日 13:44
Ossさん
終戦直後は着物を着て、洋裁を習いにお姉さん生徒たちは通っていました。結局わたしの習い物も身につきませんでした。

伊奈寿子さん
PCは馴れなのでうまくいかなくても当たり前。そのうちにうまくいくようになるから。

Unicoさん
好きでもないものを習うのは身が入らないので、なかなかうまくいきません。それでわたしもうまくいきませんでした。
ただ、洋裁は、そのころ洒落たものでした。
Posted by あきの at 2021年02月12日 14:35
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