2020年12月12日

NO...5879

寝床でラジオを聴いていると、1時から美瑛天文台の台長佐治晴夫氏の話だと言います。宇宙の話が好きなわたしは目がさめてしまいました。
1970年代にNASAに勤めていた話から始まりましたが、それ前に音楽と数学は発想が極めて近い科目であるという話があって、氏が大学で理論物理を専攻した話に移りました。
聞いているわたしは、話し相手が弟だと錯覚しそうになります。
弟は「9月から専門へ進むが、本当は理論物理に進みたい。でも親のことを考えるとそうもいかない」と悩みを打ち明けます。現在のわたしなら「行けばいい。なんとでもなるよ」と言い切るのに、22歳のわたしは、親の老後を背負って生きていかなければと考える弟に、良い答えができませんでした。
ーーそれから一ヶ月後、人生のどんでん返しがあったのです。
弟は8月12日に血尿が出て、即、信州医大へ入院、9月1日に尿毒症を併発してあの世へ。東大の2年生で、9月1日は悩んでいた理論物理に進みたい日でした。(病名は慢性腎炎、人工透析のない昭和30年の話)
入院してからは、チャイコフスキーの「悲愴」が聞きたい「宗教科学」の本が読みたいから見つけてきてほしいと言い、自分の非情な運命を受けかねていました。
最後の夜は父母とわたしの3人が夜通し看病。弟は尿毒症を起こし、わたしは一滴でも尿が出てほしいと気が気ではありませんでした。
この日を境に父母は腑抜けのようになり、2人とも髪の毛が真っ白に。父は「死ぬとわかっていたら、家に連れ帰ってみんなで死にたかった」と男泣きしました。
posted by akino at 01:12| Comment(3) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何度読んでも、このお話は無念・悲愴なお話です。戦争で逝った若者もそうですが、もう少し時代がずれていれば、薬も手に入ったと思われます。
この文章の中の・最後の夜は父母と私の3□人が・・とあります。この□が時々私のブログにも入ります。どうでもいいことですが、どうした時にはいるのかしら?と。
Posted by oss102 at 2020年12月12日 10:26
本当にOssさんと同じ気持ちです。
私にしても戦後ペニシリンのおかげで生き延びることができたのですから時代のズレは大きいですね。
残念なことです。
Posted by Unico531 at 2020年12月12日 12:57
Ossさん
この話は書いたことを覚えているのに、また描きたくなる。まあ6000回にもなると仕方ないですね。
だいたいこんなに長い友達だからーー。(^o^)
◽️はわたしのところには入っていないのに、入ってしまうのです。パソコンも歳とりました。

Unicoさん
運・不運はあるので、仕方ないと諦めれば良いのですが、ときどきこうなって書かずにいられなくなるーーしかし人工透析はそれなりに問題もあるし、第一その頃は使えるような身分でなかったですから、やはりないときで良かったです。
体、だいじょうぶですか。寒い日々ですから、どうかゆっくり治してくださいね。
Posted by あきの at 2020年12月12日 15:28
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