2018年04月28日

NO...4915 スピリッツ島 7-3

              3

 表にでると、コートが欲しいくらいに冷えていた。
 ロッキー山脈の北の端にあるジャスパーは、四方を山に囲まれ、端から端まで歩いても二キロほどで終わる小さな町である。夏でも西には雪を頂くマウント・ロブソンがそびえ、南も高い山が岩石の山肌をあらわにして、東の方へとつづく。
 駅から歩いてホテルへ来る時、食堂やスーパーマーケットがどこにあるかをチェックしてある。レストランは、通りへ出て、西へ二本行ったところにあるはずと思う。
「お前はカレーが好きだけれど、ここではむりだからね。たしか韓国料理の店だから、ここなら、ご飯が食べられるよ」
 店の中は、まだ夕食に早い時間なので空いていた。
「ピビンバを二つください」
 店員は怪訝な顔をして、二つですかと聞き返す。「ええ、二つ」と紗枝はすました顔で言う。
 哲に向かって、ビールはどうかと聞くと、アルコールは飲まないと言う。酒好きなはずだが、何か事情があるのでは。向こうの世界のことを、聞いてはならないと再び感じた。
 水と箸とアルミのスプーン、それに小皿に盛ったものを運んで来て、紗枝の前と空いている席に置いた。紗枝はそれを哲の前に置きなおしてやる。
 十五分はど待つと、石の器を運んできた店員が、器でやけどしないように気をつけてくださいと付け加えてテーブルに置いた。中でプチプチとご飯の焦げる音がする。
「上にのっかっている目玉焼きと具を全体にまぜてから食べるとおいしいよ」
 哲はアツアツと格闘しながら、スプーンを口に運んだ。
「うん、これは辛くておいしい」
 小皿は、大根の酢漬とサツマイモの煮つけ、それにキムチだった。
「久しぶりに家に帰ったようだ」
 哲が何かを言うたびに紗枝はしあわせを感じる。
 器の中が半分ほどになったとき、また昔話が出た。
「お前の合格した晩、ラーメンの出前注文したの憶えている? 」
「中町の『喜楽』からとったんだ」
「そう、三十五円だった」
「あのころラーメンがご馳走だったなあ。残った汁のなかに冷ご飯入れて食べた。うまかった」
「父さんが焼酎を飲みながら上機嫌で告白したことも憶えているでしょ」
「なんだっけ」
「こうなのよ。(紗枝は父の真似をした)なんと言っても、毎朝、氏神さま、天神さま、四柱神社へお願いに行ったで、ご利益があったというもんせ」
「いやいや、姉貴そっくりな言い方だ」
「お前は受験勉強をするとき眠くなるからと、火の気のないところでオーバーを着て、軍手をはめた。毎晩マイナス五度や十度にはなっていたねえ。父さんは机の周りを麻袋で囲って、すこしでも寒くないように気遣っていたんだよ」
「おやじには、誠意というものがあったな。寮へ牛乳でも飲めと封筒の中に三百円入れて送ってくれたことがある。自分の酒代を倹約したんだと、オレにはすぐに分かった。土下座しておしいただきたい気持だった」
「合格した日のことだけど……、あの晩わたしが話すとお前は大笑いしたっけ。電報配達がきたときね、母さんは雑巾がけしていた。わたしはデンポーっていう声が聞こえたので二階から転げるように降りて行ったのよね。母さんは電報を持ったまま、手が震えて開けることができない。しまいには陽の方へ透かして、叫んだ。『短いーッ』ってね。パストウと短いのが合格、不合格のときはサクラチルトウだと、何べんもお前から聞かされていたので、『短いーッ』となったんだよ。そのあと、ゆっくり開けてじっくりと眺めていた。それからお仏壇に供えたっけ」
「よほど緊張していたんだね。あの日オレは映画を見に行っていた。帰って合格を知ったとき、拍子抜けした感じだった。いざ合格してみると、そんなものだった」
「でも、あの夜は一家四人がそれぞれに幸せを、かみしめていたと思うよ。お前は最大の親孝行をしたのさ。母さんは、受験勉強が終わってから、好きなラジオの音を大きくして浪花節や歌謡曲を楽しむようになったね」
「家族ってなんだろうねえ」
「お前が死んで、逃げ場のない痛みを感じたのが家族さ。わたしは人生に残酷な哀しみがあるのを、はじめて知ったよ。すぐ隣の家の人は、どんな言葉を掛けてくれても、哀しみは感じないですむんだよ。ところがね、同じ屋根の下にいる家族は気が狂いそうになるんだもの」
 言いながら紗枝は席を立って会計をした。これ以上そのことに触れては哲がかわいそうだと思えたからである。
 店員が手つかずのビビンバをふしぎそうに眺めていた。
 
posted by akino at 00:07| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
残酷な哀しみ・・人生の落とし穴・・先日あきのさんのコメントにあった言葉が、改めてアップしてきました。涙が出る筆力です。
Posted by oss102 at 2018年04月28日 09:19
Ossさん
途中でコメント書きにくいのではと思います。それだけにありがとうございます。
Posted by あきの at 2018年04月28日 13:58
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