2018年04月13日

NO,,,4900 二人作りしわが山斎は 11-8

     8 
 眠れない夜がつづいて、気力のない日々も長くつづく。食べることなど、どうでもよくなっていた。体重が減ると、スカートがずり落ちるようになりベルトでとめる。
 そんなとき、新聞の下方に載った本の宣伝文が目にとまった。
「人生は落ち込んだときがチャンス!」そう書いてある。その字をじっと見つめる。
(そうかもしれない。落ち込んだときがチャンスかもしれない)
 本屋へ行った。目次を拾い読みしているうちに、こんなことで人生を終わらせてなるものか。割り切ろう、簡単に割り切れなくても、ここまで来てしまっては、そうするより仕方がない。芳乃のなかで、長く停滞していた気持ちが前へと向かって動き出した。
 悩みを差し挟まないように、ステレオの音を大きくして小椋佳を聴きつづける。普段はなんでもなく聴いている歌詞が芳乃の今をえぐり出して慰めた。
 ♪
 楽しい思い出ばかりだなんて
 言わないで
 こんなときに
 何の慰めにもならない
 泣かせて、泣かせて
 男にはできないことだもの
 泣かせて、泣かせて
 自分がくやしいだけ
 
 飲めない焼酎を買ってきて、夜はそれにグレープジュースを入れて飲み眠ることも試みた。
 やがて、立ち直ることができたのは、万一、京三からの仕送りが止まっても、自立して食べて行かなければならないという現実に気付いたからである。
 働こうと当たってみたが、五十過ぎの中年女に適当な職はなかった。こうなれば、仕送りをつづけてくれる夫を刺激しないことが得策だと功利的に考えだすーーそうしながら、じっくり自立して生活できる道を探そうと計算をした。
 そんなころ、デパートに「石井美千子の人形展・昭和のこどもたち」があるとテレビのニュースで知った。芳乃が惹かれたのは、そのアイデア。
 題は「卒業写真」で、小学校の卒業時にひな壇にならんで撮ったクラス写真と、もう一枚は五十年後の同窓会で同じひな壇で撮った同一人物の写真を人形仕立てにしていた。発想のすばらしさが印象に残り、何とか実物を見たいと思う。展覧会は横浜そごうだと案内がある。行こう。行けば、何か自分を変えてくれるものがありそうな気がする。
 
 会場に入るとすぐに、ほころびたセーターの袖口で鼻水を拭く少年の姿、袖口がベカベカになっている。毛糸パンツをスカートの下からのぞかせ、縄とびをする幼い子もいる。「嫁ぐ日」は花嫁が家の玄関を出るところ、近所の人たちが嫁さんを見たいと集まっている。「紙芝居」は自転車のおじさんが荷台で紙芝居を見せている。もらった飴を舐めながら、紙芝居に見入る子供たち。「胸をはだけて赤ん坊に乳を呑ませる母親」を、笑顔で見つめる夫と祖父母の素朴さ。
 作品たちは確実に芳乃を励ました。
(戦時中の物のなかった母たちの生活に比べれば、わたしの精神的な悩みなど気持ち一つで乗り越えられるはず)そう、前向きになった。
 自分でもこんな人形を作ってみたい……そんな気持ちがむくむくと頭をもたげた。会場の出口に売っている人形たちの本を買った。
 その夜、本を開いて長いこと眺めたが飽きなかった。人形作りをしよう……気持ちは一気にそれへと向かった。
 石井さんという人も自分で創作を始めたと書いてある。自分で工夫しながらやっていこうと考えるが、せめて顔をつくる材料の勉強だけはしなければと、翌日はさっそく吉祥寺の手芸店へ出かけて、人形づくりをしたいと告げ、いろいろなことを教わった。そして顔と手足を作る材料を買って帰る。だが、思ったようにはできなかった。それからもときどき手芸店に出掛け、いろいろと聞きながら形にしていった。
 人形にのめりこむと、苦しみは薄皮を剥がすように落ちた。
 
 季節はまた巡る。春いちばんの花々が一段落したころ、玄関前の牡丹のつぼみが大きく膨らみだした。そのピンク色を見たとき、人形の頬のように愛らしいと思った。そして気づいた。夫との共通の思い出を持つ牡丹で、真っ先に人形を思い出すなんて、わたしの気持は解放されたのかもしれない。
 人形は仕上がっていく過程で魂を持つようになり、存在を示すようになる。子どもたちの幼いころの写真を眺めながら似せて作ろうと張り切った。
 最初は似て非なるものとしか言いようのない出来栄えだった。すると次こそはと夢中になる。こうしてつくった人形を部屋のソファーに座らせると、家の中が賑やかになり出した。人形がいるということが、自分をなごませる。さびしさがどんどん溶けだして、健康な地肌が顔を出すと、心の大地に草が芽吹き、花が咲くようになっていった。
 しかし、人形では収入にならない。夫からの仕送りがつづくためには離婚をなるべく先延ばしすることを考える。金銭面では、いつも芳乃に誠意を見せていた。
posted by akino at 00:07| Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昨日まで辛い気持ち読み続けてきました。それでも読むのがやめられませんでした。
今日の前進でホッとして大きく息が吸えました。恋はするものでは無く恋は落ちるものだと書いていたのは寂聴さん。その通りだと思います。寂聴さんは好きではありませんが…
金銭的な問題は鎮静剤にもなるのですね。
Posted by Unico531 at 2018年04月13日 07:52
Unicoさん
深読みしていただき感謝。
これからプールに行ってきます。それ前にここをチェック。さすがにちゃんと分つてくださりサンキュー。
Posted by あきの at 2018年04月13日 08:21
ふ〜〜む・・と2度 読み
泣かせて 泣かせて〜♪の歌、声を出して歌いました。
Posted by まり at 2018年04月13日 17:55
まりさん
まあコメントの返事はこの場合なしです。
Posted by あきの at 2018年04月13日 18:10
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。