2018年04月09日

NO...4896 二人作りしわが山斎は 11-4

     4
 由紀子との事の起こりは忘年会の時であった。くじ引きで決まった席について何気なく隣を見た。襟がひろめに開いた水色のブラウスに、ネックレスの金色が細く光り、首の白さがこぼれるような美女がいる。信じられないことだが、ふと地底から突きあげるような衝動にかられた。
 ――触れてみたい。
 そんな自分に辟易しながら平静を装って声をかける。話してみると気取りがなく、なかなかたのしい。照れるような気持ちを押し隠すために、大げさにおしぼりをひろげて顔をぬぐった。同じ営業部にいるのに、どうして今まで気づかなかったのかと不思議に思う。
 会が終わったとき、同じ方向に帰るという由紀子にコーヒーでもどうかと誘うと、「いいですわねえ」とピンク色に染まった顔を親しげにした。
 そのとき家庭のことで悩んでいると、相談を受けたのである。
 夫と娘、それに義母の四人家族だと前置きしてから、
「夫は週末をほとんど女の人のところで過ごすんです。義母は放っておけば男の浮気なんて、目が覚めるから騒ぐなと言うんですが、わたしには耐えられません……。それに、子どもは五年生になるので、うすうす勘づいています。週末になると夫が帰宅するまでは地獄のよう。どうしたらよいでしょうか。考えると気が狂いそうになります」
 額にかかる長い髪を、細い指でかきあげながら嘆く由紀子を見ていると、何とか慰めてやりたくなった。
 この晩をきっかけに由紀子と、ちょくちょく飲みに行くようになる。

 ある晩のこと、牛タン料理の店で食事をしているとき、オレtが腹痛を起こした。トイレに行ってもおさまらないので、タクシーで帰宅しようと外に出た。由紀子は表通りまで走ってタクシーをつかまえてくれる。乗ろうとすると、心配だからついていきますと言う。一人で帰れるからと断ったつもりだが、乗り込んで来た。
 そんなことがあってから、由紀子は、単身赴任は殺風景でしょうと、ちょくちょく京三のマンションに来て料理をつくってくれるようになる。外で飲むより落ち着くのでオレもそんな時間が持てるのを楽しみにした。それに外で誰かに見られて噂になるのを恐れたのは事実である。
「部長さんのところは居心地がいいわ。だってお父さんの傍にいる気がするんですもの」
 幼い時に父を亡くした話をしながら、由紀子はゆったりとソファーにやわらかな体を預けた。
 そのしぐさを眺めているオレはいつの間にか異なる次元に迷い込んでしまう。

 ーー雨月物語――白と黒ばかりで色がない世界。

 靄っている空気はひろがりを見せ、つかみどころのない場所へと足を滑らせた。靄に見え隠れする京マチ子が、あやしげな薄手の布をまとって舞いながらすべるように動く。白濁したなかを、妖体を求めて狂いだす森雅之。追って追って、追ってようやく捕まえたと思うと、絹の感触はするりと、ようやくつかんだ手のひらを滑り落ちていく。離してなるものか。オレは激しく求めながら追いかける。靄は立ちこめ、何もみえない――と、とつぜん白い顔が大写しになり、すぐに遠のいてしまった。待てえ、待てえ――気がつくとオレの腕の中には、はじけるような物体が荒い息をしていた。抱きしめる。何もかもすべすべ、すべすべ……。軟体動物は法則のない動きをみせて、くねくね、くねくね……。
 ついに魔殿の内側にはいってしまう。風が吹いて後ろの戸がギィーと音をたてて閉まった。あわてて戸の傍へ行き、引っ張るが、戸はビクともしなくなっていた。
 絶え絶えに息をしている由紀子に、京三は口走る。
「由紀子、もう離さない、離せない」
「……」
「……」
「家に帰るのは、いやっ」
 由紀子の鼻にかかる声で現実に戻った京三は、かろうじて世間の常識を残していた。
「けじめだけは大事にしなければ……」
 言ってはみたものの、もはや言葉に迫力はなかった。
 平穏無事のサラリーマン生活に起こったできごとは、たちまちのうちに竜巻となり、京三を席捲していくことになる。

 ときどきの外泊に、由紀子の夫は何も言わないらしい。由紀子に言わせると相手は離婚したがっているのだから、幸いぐらいに思っているはずだと。
 家に帰らない母親を、帰宅したとき娘は冷たい目で見る。義母もいい加減な両親に、かわいい孫は任せられないと言い始めた。そして自分が責任を持って育てるからと言い張るようになる。娘もお婆ちゃんと暮らしたいと希望した。由紀子の家庭は崩壊する。
 ついに離婚して、荷物をまとめ京三のマンションに引っ越して来た。
「これは……困る。どこかへ部屋を借りてやるから……」
 困惑したが、
「前もって言えば、きっとそう言うに決まっていると思ったわ。だから無言実行……」
 由紀子は京三が許すと判断しての行動らしい。
 結局、荷物は運び込まれた。
 こうなっては、京三も考えざるを得ない。あと少しで定年を迎える。こんなに複雑な事情が絡みあってくると、世間的な風評を気にするより、自分の人生に素直になってみよう。芳乃に話せば案外、どうせ単身赴任中だけのこと、多少のことはいいわよ。と理解してくれるにちがいない――虫のいい考え方をした。
posted by akino at 00:28| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
じっくりと読んでます。
Posted by oss102 at 2018年04月09日 16:04
ossさんはコメントがお上手・・!!
状況・心境がよ〜く解る小説・・・と思いながら私もじっくり読ませてもらっています。
こちら、今朝方、うっすらと雪が積もりました。
Posted by まり at 2018年04月09日 16:41
Ossさん
コメ、むりしないでいいですからね。(^o^)

まりさん
こちらも雪は降らないですが、今日は風が強く寒かったです。
八重桜も散りました。わたしは失敬して八重桜を塩漬けにして、冷凍しました。Ossさんも試してみてください。
Posted by あきの at 2018年04月09日 17:56
相談女に男は弱いらしいです。
そして雨月物語の世界へ迷い込んでいく……。
色がないだけにいっそう妖しげな。
雨月物語は知りませんが、羅生門の妖艶な京マチ子を想像しました。
Posted by みのりん at 2018年04月09日 18:20
みのりんさん
羅生門のような作品です。画面がとても妖艶な作りだったので今でもうすうす憶えています。こういう作品は「ヌレバ」を書くことになるので、大変です。
Posted by あきの at 2018年04月09日 21:47
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