2017年05月13日

NO...4564

12日朝の「ひよっこ」は、初めての給料日。
月給12000円ほど。いろいろ差っ引かれて手取り6000円ちょっと。
みねこは考えてから、5000円を家へ仕送りします。部屋の仲間たちも、月給を当てにしている故郷へそれぞれ送金しました。
郵便局から帰ると、給料日を当て込んで出張販売が寮に品物を並べて待っていました。みねこはここでノートと消しゴムを弟のために買い、ノドから手が出るほど欲しかった花柄のブラウスは諦めます。ーー後日それを買って着ている人を見たみねこの寂しそうな顔。わたしは胸を締め付けられ、こんな悲しみが人を作っていくのだよと応援しました。
お金のないということは、生活の隅々を悲しみに誘います。でも、不幸だったかというと、そうではないーー代わりになるものは「思いやる心」「やさしい心」「形に出ない豊かさ」そうしたものが、故郷の泉の湧き出のようにコンコンと人の心を育てて行くのだと思います。
posted by akino at 00:56| Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みねこさんが格闘した時代より少し後に育った私ですが
・この時代を支えたジョシたちでしたね。

大阪では幸之助さんの時代です。
Posted by hanairomimi at 2017年05月13日 08:32
私は7千円ほどの月給が出ると、母親にコートとか姫鏡台とかを贈りました。
引き揚げ者で軍人恩給はフイになり貧乏でした。
でも、結婚してボーナスが出ると、自分の母親のことばかり考えて、夫の両親のことは考えませんでした。狭い心の女でした。今も・・
Posted by oss102 at 2017年05月13日 08:49
あきのさんより10年遅い生まれで地方都市の真ん中育ちのせいか頭ではわかってはいても経済が伸びてきた時代のせいかそれ程貧しさを感じないで育ってしまった様です。ただ「分をわきまえなさい」ということは厳しく教えられた気がします。ですから欲しいとか憧れても憧れで終わらせられたことができた様な気がします。
あきのさんの悲しみであるけれど不幸ではない、心を育てるという言葉はその通りだと思います。身にしみます。
Posted by Unico531 at 2017年05月13日 12:40
Mimiさん
わたしは終戦の時に小6で、21年に女学校に入学でした。
だから集団就職のことなど新聞でよく見ました。

Ossさん
Ossさんは親孝行でしたね。親の苦労を見ていたから、そうなったのですね。「自分は食べないでも子供に食わせる」の時代を知ってますものね。

Unicoさん
ほんと、戦争がなかったらと思いますが、戦争がなくても貧しい国でした。
それにしても「きな臭い」あちこちですね。「一帯一路」政策の中国の伸び方はおそろしい。アメリカはトランブに振り回されているうちに中国に越されてしまうと思いませんか。
Posted by あきの at 2017年05月13日 14:36
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