2014年10月31日

NO・・・3625

Gaccoで「モチベーション」について勉強すると、これを生活のいろいろな場面で使いたくなります。
たとえば、よその子のことを考えて見る。「勉強しなさい」と簡単に言う母親…これではモチベーション下手。漫然と「勉強しなさい」は言葉が子どもを素通りする。上手くやるには、具体的目標を考えることが母親のしなければならないこと。この場合、目標が高すぎてはやる気を最初から持たない…目標は背伸びしたら手の届く辺りが理想的かな。
夕飯に誘ったM子さんもわたしの「モチベーション」に捕まりました。「家の中がちっとも片付かないのよ」といつものように言うので、さっそくお節介。「年中片づけをしなければと言い暮らしているのに、ちっとも片付かないのは、どこかにモチベートの工夫が要るのでは…まずいつまでに、この押し入れを、いつまでに庭の落ち葉を片づけるなどの目標を具体的にする。そして明るい音楽を流すなどして、気分よくやる。目標はあくまで手の届く範囲に立てること」などなど、聞く方こそ「あきのさんはどうなの」と言いたくなるようなことを平気でズバズバ。それでも「美味しかった〜」と、満足げ。どうやらわたしの「モチベーション実験」は相手を素通りしているようでした。
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2014年10月30日

NO・・・3624

 ハーイ、またボクだよ。昨日お姉ちゃんが来たんだ。
「イーナ、お姉ちゃんが来るよ」って、電話を切ったバアちゃんが言うと、もう嬉しくて、じっとしていられないんだよ。ソワソワ…。ガレージの上で待っていると、お姉ちゃんが見えたよ。ボクは家の中に猛烈な勢いで入って、今度は玄関へ跳んで行く――バアちゃんは気配を察してドアを開けてくれる。このときの嬉しさは、ちょっとうまく言えない。泪が出るほどうれしいんだ。
お兄ちゃんの時も同じだよ。震えるほどうれしくなって、家の中に入っても、あちこちぶつかるほど走って、ようやく気持ちが治まるんだよ。
この2人はボクをこの家に連れてきて、名前もつけてくれたからね。今はUR賃貸に住んでいるからボクを連れて行くことができないんだって。でも今、家を建てているから出来上がったらボクは行くことができるんだ。
バアちゃんは、そのときは「お父さん、お母さん」と呼び方を変えた方が良いと考えているようだよ。早く家が出来上がるといいなあ〜。
お姉ちゃんはお正月にボクに着せる洋服を考えているようだよ。でも今日はハロウィンのお面をつけられちゃったよ。
★右上の「あきのとモノたち」をクリックするとイーナの写真が見られます。
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2014年10月29日

NO・・・3623

ボク、 Unicoおばちゃんから、生まれて初めてコメント貰ったんだ。
俄然、嬉しくなって飛び跳ねていたら、バアちゃん「イーナ、よかったね。また書く? 」っていうから、「ハーイ、書く、書く」って言ったら、バアちゃんパソコン貸してくれたよ。
何、書こうかなあ…そうだ犬の好き嫌いについて書こうっと。
ボクはね、大抵の犬は好きになれると思うよ。だけどね、嫌いなワンコがいるんだよ。その犬に会うと、思わず吠えてしまう。その吠え方はね、ボク声が大きいでしょ。バアちゃん困った顔をするよ。たいがいはバアちゃんの言うことをきくことができるのに、この時ばっかりは「ワ―ン、ワンワン」と声が喉の奥から咳のように出てしまうんだ。
そんなときバアちゃん、ボクのことどうするか知ってる? まるで首吊りの刑だよ。綱をぐ〜んと高くする…ボクは後ろ足で歩く感じになって苦しい。それで仕方ないからおとなしくなるんだけどさ。
あと1つ、隣同士並んだ2軒はいずれも今時珍しい「ワッチングドッグ」式の飼い方。庭に犬の家があって、夜や雨が降ってもいつも庭にいる。その家の前を通るとき、向こうは待ち構えていて吠える。だからバアちゃんはその家の前を通る前からボクに「イーナ、おりこうね。吠えないよ、吠えないよ」と言い聞かせる。ボクが激昂する前だから、冷静にバアちゃんの言うことを聞くことができる。するとバアちゃん「イーナ、お利口だねえ、なんてお利口な犬なんだ」と頭ナデナデしてくれるよ。やっぱりホメられるのって気持ちがいいよ。
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2014年10月28日

NO・・・3622

またボクの出番だよ。
バアちゃん、家の裏の方の草だらけのコーナーを耕し始めたよ。まず、端にあるコンポストを移動した、そしてね、草ばかりで痩せているそこを大きなシャベルでほじくり返したんだ。その後、草と土がごちゃごちゃしているところの草をどんどん袋に入れた。そして先日買ってきた立ったまま使える道具で土地を平らにしてから、石灰をパーパーと撒いたよ。白い粉が飛び散るのでボクは逃げたよ。何か変な病気にでもなると困るから…。
その後へ、こんどは土壌改良剤というのを、大袋全部撒いて、平らにしたよ。
「やる気になればやれるもんだ…」と独り語と言ってたよ。ここまでで1時間とかからなかった。バアちゃんに言わせれば、「テレビをボーッと眺めている1時間は長いけれど、仕事をする1時間はあっという間だし、かなりな量の仕事をすることができる」だって。
そしてね。ボクにこう言ったんだ「イーナ遊んでばかりいないで働きなさい」…そんなこと言ったって、ボクは散歩が仕事だもん。連れてってくれなきゃできないよぉ〜。

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2014年10月27日

NO・・・3621

小林りんさんは39歳、夫と子供2人の4人家族。子育て真っ最中なのに大仕事もやり抜きました。
この人は、数年かけて自分の夢(未来の東南アジアのリーダーとなる人物を育てる学校をつくりたい)を実現したのです。
軽井沢に2000坪の土地を借りて新しい学校を建設したというから驚きです。それは全寮制、返済無用の奨学資金まで用意して。
こんな凄い学校を本人は無一文で立ちあげました。ダンプカーのような凄さでたくさんの会社を説得しまくり、資金を集めたと周りの人は言います。
学校を作ろうと考えた切っ掛けは、ユニセフでフィリピンに行き、社会の格差を、いやというほど感じて、貧困をなくしたいと心底思ったことに因るのだと。
まず貧困国の変革ができる指導者を育てる…それにはモノを感じやすい高校生を教育をしよう…そう考えたそうです。
学校名は「ISAK…インターナショナル・オブ・アジア軽井沢」
生徒は例えば、シムカ―ル君―ソマリアから。ヤシユウィーニさん―インドから。ディルラボさん―タジキスタンから。というように。今回の開校に際しては、全部で49人(内日本人18名)だそうです。
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2014年10月26日

NO・・・3620

わたしは人に話すのに、知りあいのことは、みな「友」と言って話していました。すると、あるとき、Sさんに言われたのです。「友と知人」は区別するべきだと。そんなこと考えたこともなかったのですが、たしかに一理ありです。
「マッサン」では、エリーが夫に報告します。「ワタシハ、ヨウコサント、トモダチニナッタ」と。ここでもやはり「友」は特別な人と、区別をしていることを感じました。
わたしのハワイの友は、あるとき言いました。「もし、あなたが間違ったことを言ったとしても、わたしはあなたの友だから、あなたの言うことを信じる」…それほどまでに信じてくれているのだ…その時は感激しました。そして、逆に自分の行いに厳しくならねばと思ったものです。
そんなことを考えた昨日、久しぶりにハワイへ電話をしたのですが、留守のようでした。近ごろは、この友も日本語を使う機会が少なくなって、苦手になっているので、どうしても縁遠くなってしまいます。無理もありません。90歳近いのですから…。
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2014年10月25日

NO・・・3619

NHKの大型歴史ドラマ「軍師・官衛兵」も終わりに近づいて来ました。秀吉は太閤に上り詰め、欲しい物はほとんど手に入れてしまうと、今度は海外へ出たがります。(もちろん脚本家の表現方法で人物像も変わるのですが…)周りが止めても自分を抑えられない。で朝鮮へ向けて攻めて行くことになります。
現代でも同じ…。人は時に依って自分がどのように変わるか。出世したり大金持になったりすると、「いい気になり」いつの間にか人格が変化してしまう。そうなっても変わらないでいるためには、自分自身を訓練して「平常心」を失わないようにしておくか、ほんとのことを言ってくれる友を持っていることが、大切になってきます。
秀吉の場合、ほんとのことを言ってくれる人を2人持っていました。1人は利休、もう1人は官衛兵。ところがこれがうるさくてやりきれなくなる…そしてイエスマンの石田三成を近くに置くのです。最後は利休を切腹させ官衛兵を遠ざけようとする…軍師である官衛兵は、それを察知、隠居という手段に出て「お家」を守ります。
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2014年10月24日

NO・・・3618

Gaccoの新しい科目が一昨日から始まりました。今までに3科目終えて修了証も3枚になりました。
新しい科目は「モチベーション・マネージメント」。今月は科目を、ダブってとり始めたので、どんどん片付けて行かないとお手上げになるかと考えます。昨日来た分は、モチベーションの授業にマズローの法則が出てきて、久しぶりに人の欲望について考えました。
来週28日から「歴史都市京都の文化・景観・伝統工芸」、30日から「交流文学研究~東南アジアへの旅~」。以上の3科目。
「小人閑居して不善をなす」は無くなりそうです。
新しい科目の案内を見るたびに、面白そう〜と思って、申し込んでしまうので、こんなにたくさんになってきました。来月も申し込んでいますから、そろそろねじり鉢巻きの準備も要るかなと〜。(^◇^)
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2014年10月23日

NO・・・3617

色気のない話は、出来たら隠して置きたいのですが…入れ歯のことです。幸い何でも噛めて不便なし、夜寝る時も取り外したりすることはありません。
友がどこの歯医者がいいかと聞くので「駅前のH歯科が絶対にいいよ」と推薦したのに、友にとってはよくなかったようで、急に会う時はいつも歯ナシばあさん…気軽に「あそこがいいよ」なんて言うものではないと悔やまれます。
話は変わって…レンコンが好きです。冷凍のレンコンも売っていますが、これは食べたときのシャキシャキ感がまったくありません。
わたしのレンコン料理は、まず鍋にゴマ油、そこへ切ったレンコンを入れて炒めます。一緒に炊くのは、決まってさつま揚げ。炒めはじめて間もなく砂糖を入れ、すぐに醤油も入れて5分ほどで出来上がり。大事なことは、シャキシャキ感があるうちに火を止めること。柔らかく煮たレンコンなど価値がゼロになりますから。
食事のときに、口に入れると「シャキ。シャキ。」っと、レンコンだけが持つ歯切れのよい音がします。この音はどうしてか「若さ」を演出してくれます。
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2014年10月22日

NO・・・3616

作家、原田マハは、【1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部日本文学科および早稲田大学第二文学部美術史科卒業。マリムラ美術館、伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室にそれぞれ勤める。森ビル在籍時、ニューヨーク近代美術館に派遣され同館にて勤務。その後独立し、フリーのキュレーター、カルチャーライターへ転身。
2005年「カフーを待ちわびて」で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞し作家デビュー。2012年、画家アンリ・ルソーの代表作「夢」を巡るアートミステリー『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞】
わたしは、この作家の短編「星がひとつほしいとの祈り」を読み始めたのですが、どの作品にも作家の温かな目を感じ、好きな作家だなと思って、検索し上の【 】内のことを知りました。
「キュレーターと書いてあり、作品に画家を登場させてのストーリーを作っているようです。「楽園のカンヴァス」と「ジヴェルニ―の食卓」がその本と分かり、注文しました。暮れに帰国する娘〈ニューヨーク近代美術館の仕事もしている)にプレゼントしますが、その前に自分が読むという一石二鳥作戦です。
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2014年10月21日

NO・・・3615

日曜夜10時50分より「小椋桂・生前葬コンサート」前編がありました。来週の日曜同じ時間帯で後編があります。
小椋氏は70歳の今を「気力も体力も衰え、70歳でけりをつけようと思ってこのようなお葬式をやることにした」と言い、「戒名もいらない葬式もいらない」その代わり、このコンサートは、会場のチケット代が「香典」、コンサートは「香典返し」のつもりだと。
幕が開くと、会場は何となく葬儀場の祭壇のような雰囲気を持たせてあります。演奏する人は黒い服に黒いネクタイ。登場した本人も最初の方は同じ服装でした。
生演奏は、全部で四日間。毎回自分で選んだ歌が25曲ずつで全100曲演奏だそうです。〈テレビでは前後編に分けての2回〉
さまざまな歌が登場しましたが、途中で「小椋」という名字の由来の説明がありました。「東京・上野が故郷の氏が、大学時代の夏休み群馬県〈と言ったような気がする〉のある村へリュックに本を詰め込んで勉強しに行ったそうです。その村のほとんどの人が「小椋姓」。そこを故郷のように感じた氏は、そこから芸名を貰ったと。尚、その時に付き合っていた人が村を訪ねて1週間ほど滞在していったが、借りた家には「妹だ」と言い逃れたエピソードも紹介しました。今の奥さんです。
ずっとコンサートをいっしょにやって来た音楽プロデューサーの星勝氏が指揮をしました。
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2014年10月20日

NO・・・3614

真珠づくりD
仏領ポリネシアに属するタヒチは幾つもの島からなり立ち、ボラボラ島には、ラクーン(環礁)があって、飛行機はパピーテから1時間、飛行場は環礁上にあり、そこから船で島に渡ります。室井氏はそのラクーンを養殖に適した場所と考えたけれど、島には黒蝶貝が生息していないと分かりました。
ヒクエル島には貝がたくさん生息しているので、ここに組み立て式宿舎と施術室を造ったのですが、肝心の養殖筏、金網、ロープそれに桟橋など施設の準備がなかなか思い通りに進みませんでした。
一方、黒蝶貝を観察すると、白蝶貝との違いは足糸が太いこと。挿核の時、足糸を慎重に避けるのですが、白蝶貝はある年齢になると自然に足糸が無くなるのに、黒蝶貝は成長するに従って足糸が大きく太くなるのです。これが成功しなかった原因のようです。施術には、真珠袋が早く核を覆うように、核との接触面積を広くする、また貝にストレスを与えないよう工夫をしました。こうして一次試験が終わり、その後2度来訪して、3度目の訪問で、産業化できることを確信したと書いてありました。(終わり)
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2014年10月19日

NO・・・3613

真珠づくりC
【オーガスタ島に上陸以来2年4カ月でようやく一段落。いろいろな苦労や困難を体験したが、何とか軌道に乗せることができた。ここでの2年4カ月は10年にも勝る内容で、濠州に新しい産業の礎を築き、所期の目的を達成したのである。ようやく日曜日を休日にするゆとりも出来た。
そんなころタヒチの黒蝶貝による真珠養殖の依頼がある。昭和36年6月タヒチに赴く。当時の国際線は便数も少なく、到着は深夜になってしまった。
真夜中なのに空港が騒がしい。何だろうとタラップを降りてびっくり。ウクレレとフラダンスの歓迎である。首が埋まってしまうほどのレイをかけられますます面食らう。それほど頼りにされているのだと知った。これが成功すればタヒチの一大地場産業になるはずなのだ。
朝になる。「ムッシュ紺野」という通訳者を紹介される。
「オレコンノダ、オメガ室井サンカ?」東北弁である。「オレカ?オレフクシマウマレノ室井ダド」すると紺野氏は会津出身だと。同郷である…紺野氏の眼鏡の奥に光るものがあった。
タヒチとはこんな出会いだった。とにかくいろいろな会社や人たちがみんな失敗している。絶対に黒真珠を成功させねばと心に誓った。】
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2014年10月18日

NO・・・3612

真珠づくりB
【未開地に人が住めば調理屑と残飯が出る。陸上で焼却や埋めるなどすると、ネズミ、山犬、蛇、毒蛇、カンガルー、ゴキブリなど自然に集まってくる。それを海に捨てれば魚が寄ってくる。おまけに海にはワニとサメがいる。体は、サンフライ(日本のブヨ)と蚊にやられ、その痒さと言ったら格別。その上マングローブと格闘する際、掻き傷からバイ菌が入って化膿する…このように肉体酷使をしているが作業の進行は遅れがち。それでも昭和32年に半円真珠、33年に真円真珠の初浜上げにこぎつけた。この間1人の落後者も病人も出さずに来れたのは精神的な緊張と運に恵まれたことに因る。
最初の場所から6カ月目にブレークノック湾に移ったのは、主に「筏」の安定場所確保のためである。ここを本拠地と決めて、母貝の集荷場所や筏や施術屋形も本格的に造り、日本人技術者も33年には35名となる。陸上施設も宿舎、雨天作業場、発電機と建設ラッシュ白人の大工、技術者も大勢住みこんだが、「友情」がうまれ、常に友好的で1回のトラブルも起きなかった】
日本の魁を担う人たちは、みんなこうしたことに耐えて成功したと、改めてその凄まじさに感銘します。
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2014年10月17日

NO・・・3611

真珠づくりA
何とか生活する場所の形が出来上がると、陸上部隊6人を残して船は再度出港。
残留部隊は、過酷な労働で疲労も極限状態。その夜はランプを消して早々に安眠をむさぼっていると、雷鳴とともに豪雨。降り出して間もなく、濁流がテントの中へ。テントは壊れ、行李やトランクなど外へ流された。そして朝が来ると太陽は燦々と雲ひとつない…濡れたものを広げて乾かしているとため息が出る。12月から3月ごろまでは雨季と聞いていいるけれど、何もこんなときに雨を降らせなくても…神を恨んでも始まらなかった。
良いことは石ころの間に水量豊かな水が湧いて、これが生活を支えたこと。そして現地の生活も1週間が過ぎると、母貝を受け入れのための金網を組み立て、筏の設営も始まる。遠くからユーカリの木を運ぶのが大変なのでマングローブも使ったが、マングローブは水中に浸かっているので足が滑り切り出すのが大変。加えて、蚊とブヨの多いこと、出発前には予想できなかったことが次々と起こったと書いてありました。
真珠づくりは、つぎのような手順になります。@貝を獲る、Aその貝に核を入れる、B入れた貝を筏につるし海に戻す、Cその後は、貝が真珠を育てる期間 D貝を傷つけないように細心の注意をしながら真珠をとり出すなど。

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2014年10月16日

NO・・・3610

真珠づくり@
室井氏から著書「たくましき男たち」を頂戴しました。水産大学を卒業した氏は「どうしても外国へ行きたい」と思って、行けそうな会社「覚田真珠」を選んだのだそうです。そして最初の勤務地が「外国・沖縄」だったと。ところが都庁に行って旅券申請をしても、なかなか許可が出ない…2ヶ月間申請の記入添削を繰り返しても、難題がついて旅券交付はできなかった…結局、昭和28年12月、奄美群島の日本返還を待って、復帰第一船で神戸を29年2月発ち、3日目に名瀬港に入港したものの、港に近い旅館はランプしかなかったと言います。
南洋真珠養殖に旅立ったのは昭和31年6月。仕事道具と味噌・醤油・米など1年分を積みこむと、66トンの木造船は喫水線を越えて波がチャプチャプとデッキを洗っていたとか。先発隊の陣容は13名。四日市港から出港、20日目にオーストラリア北部のブルームというところに着岸します。ここで通関・検疫。そこから30時間かけて、7月4日ついにオーガスタス島に着きました。上陸して驚いたのは石ころばかりで土がない。背後に迫る山も茶色の岩石ばかり。そんなところへ3張りのテントを設営して旅の荷を解き、憧れの外国暮らしの現実が始まりました。
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2014年10月15日

NO・・・3609

「世界ぶらり旅」ポルトガル編で、狭い路地裏を歩いていると、どの家も表の壁が青く塗ってあります。そこへ声をかけて来た人が家の中を見て行かないかと誘いました。
中に入ると一階も二階も壁が真っ青。ポルトガル人はみんな青が好きだと案内した家主は説明しました。
テレビを観終わって散歩に出ると、台風一過、空がまるでテレビの続きのように真っ青。山道に似たグリーンベルトを歩くと、木漏れ日がおだやかで、少しずつ黄に色づき始めた木々を透かして見える青空の清々しさ。
遠くに大きな船のような形をした雲がいくつも浮んでいます。秋の空は卷雲や鰯雲がほとんどなのに、今日の雲は台風のせいで、ちょっと違います。
ジャスコまで行って、棟と棟との間にシニアカーを停めイーナをつないで店内に入り、急いで買い物をすませて出て来ると、こんどは空がガラッと変わつて空一面が灰色の濃淡に覆われていました。そして雲の薄いところを透した太陽は、直視すれば目を傷めるようなきつさで、光を投げていました。
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2014年10月14日

NO・・・3608

「わたし、毎日2回は見ているわ。時には3回見ることもある…」ジムの脱衣場でわたしと同い年でおしゃれなTさんが言った時、これはぜひブログに書いておかなければと思いました。「マッサン」…そんなに惚れこんでいる人のいる連続テレビ小説は珍しい…。
家に帰って、マッサンの相手エリー役はどんな人物だろうかと、さっそくパソコンを開けました。たしかに人気がある連ドラらしく、検索にはゴマンと記事が…煩いほどです。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とその妻リタがモデルだとか。
主演の女優は、公募で決まった人のようでサンタフェ生まれ、大学は修士課程まで進み、演劇研究をしていた人。検索で見た写真の髪の色は金髪ではありませんでしたが、その後染めたようです。金髪の方が断然似合うと思います。主役に選ばれた時は日本語ができなかったと言います。逆にそれが新鮮な感じ。演技が上手いなあと感心したのは「橋の上の場面」でした。
とまれ、おもしろい連ドラは、日本人全体の1日の楽しみとなり、活力にさえなるように思います。
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2014年10月13日

NO・・・3607

2000円以上買うと、65歳以上が条件で配達してくれるホームセンターへ行ってきました。
石灰と土、肥料などの他に立ったまま使える道具2つを買いました。1つは熊手、今まで100円ストアので間に合わせていましたが、柄が長いと立ったまま仕事ができます。先の部分が竹・プライチック・金属と並んでいるので、あれこれ手に持って試した結果、金属のが使い勝手が良いと決めました。もう1つは草削りという道具。これ1つで耕やす、土を平らにする、それに草取りができそうです。この2つがあれば座る動作はかなり減るはず。配達は金曜日と言いますから、ちょうど台風も通過するし、秋の庭の片付けができます。
このごろ思っているのですが、体が不自由になったら、道具を体に合わせれば、やる気が起こる…です。それと草などの片付けにビニール袋を惜しみなく使うと、片付けるのが気持ちよいこと。
今は公園に、大掛かりな人と道具が入って、たちまちきれいにしています。それらを見ているうちに「道具の良いのを使おう」と気づきました。
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2014年10月12日

NO・・・3606

ジムのプールで出会った人は、何と黒真珠を作ることに成功した研究者。わたしがタヒチに行き、ボラボラ島で黒真珠の工場を見て来た話をすると、ついにパンフレットを持って来て見せてくれました。たしかに目の前にいる人が、島の偉い人と一緒に写っています。
【50年前、フレンチポリネシア政府の要請を受け、はじめてタヒチで黒蝶真珠の養殖を成功させた室井忠六さん、オーストラリアで白蝶真珠の養殖を成功させるなど真珠養殖のパイオニア】と書いてあります。
日本ではアコヤ貝に核を埋め込んで真珠を作りますが、同じことを試しても途中で貝が死んでしまい上手くいかずに困って、そのころオーストラリアで仕事をしていたM氏に依頼が来たとか。
今ではタヒチの一大産業になって感謝されているようです。わたしはノーベル物理学賞受賞者と目の前の人とがダブりながら感激しました。
あまり興味を示したせいか、こんどはどのように研究して成功したかを書いてある本をプレゼントしてくれることになりました。
posted by akino at 05:32| Comment(6) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする