2010年07月31日

あきの70路を語る・・・2026

またまた「100年インタビュ」の話。今回は半藤一利氏です。
【最近、「昭和史を学校できちんと教えろ」という声をよく耳にするという。だけど、教える先生がいません。きちんと昭和史を教えられる先生を養成しないと、この国はただごとではなくなってしまう】。
この人の本を読みたいと考えていた、わたしにとってはタイムリーな番組でした。
戦後の方が戦争中より食べものがなかった話、60年の安保闘争で日本はようやく戦後を過去のものにしたなど。吉田茂首相に編集者として会った時「大変ですねえ」と挨拶すると「何しろ人を喰ってるからねえ」とユーモアを返された話では、自然と笑えました。
氏は言いました。「日本を良くするには、経済を大事にしろというのは違う。教育だ。教育をきちんとしたら、10年で国が変わってくる」と。
さっそくAmazoに注文した氏の本は以下の4冊。(昭和史2冊、歴史を歩く文学を歩く、漱石ぞなもし)

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2010年07月30日

あきの70路を語る・・・2025

犬は家の中のどこが涼しいかを知っていて、暑い日には台所の出入り口のコンクリートと玄関のタイルの上を選ぶようになりました。それならとペット屋さんで犬の涼しい敷物を求めました。青い板は海の色で、いかにも涼しそう。触ると冷たいから喜ぶだろうと選んだのに、その上には絶対に座りません。慣れさせようといろいろ工夫すると、かたくなに拒み、無理に避けて座ります。
「大枚をはたいて買ったんだよ。ここで寝なさい」と言い聞かせますが、経済の論理が分かるはずもなし。そこで無理やりに抱いて連れて行き、板の上に寝かせると、良い子で横になっているのに、わたしがその場を離れると、すぐにほかの場所へ移動します。まったく可愛げがない…すこし腹が立ってきました。コーヒーを飲みながら「これに似たことを過去に経験しているな」と考えた途端、思い出しました。「子どもの教育…これも、なかなか親の思う通りにはならなかったなあ」と。

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2010年07月29日

あきの70路を語る・・・2024

「葱を食べると利口になる、茗荷を食べると馬鹿になる」…そう言われても、わたしはやっぱり茗荷が好き。そろそろ出てくるはず…と葉っぱを手でどけては土のあたりを時々眺めていました。
とうとう今日、見つけました。出ていると分かるのは白い花のようなところを土の上にグタッとさせているからです。見つけられたら最後、わたしに捕まえられます。
すっかり幸せな気分になって、台所へ運んで蛇口をひねり、洗いながら何にして食べようかなと、自然に頬の緩むのが分かります。今日は小口切りにして削り節たっぷりと醤油すこしを入れて箸置きを作ったのと、そうめんを茹でて、薬味にしました。
何が幸せって、こんな季節感たっぷりの食べものを口にするときの贅沢さ…トマトも採れるしゴーヤにも目下花が咲いています。

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2010年07月28日

あきの70路を語る・・・2023

弟 C
松本にいたときの父は、弟の墓参りを毎朝欠かしませんでした。母もお寺さんへのお布施をPTA会費だと言っていました。わたしは、子どもには、大勢兄弟がいる方がよいと考えて一所懸命産みました。
やがて両親が、年取ると横浜のわたしの家で暮らすようになり、弟も横浜霊園に移しました。
両親が一緒に住むころには4人の孫たちの背丈が伸びて、弟の亡くなったころと同じになりました。父は、弟と重ねて考えるらしく「今日は男だけで焼き肉を食いに行くぞ」と弟×3を引き連れて焼肉屋へ行ったり、孫の運転で房総へ旅をしたりしました。
晩年の母は「○○ちゃんはもうちょっと勉強すると、出来るようになると思うけれど…」など遠慮がちに言い、弟と比べては孫を歯痒がったものです。
そうした父母をわたしは、「人生は何と短じかいものよ」と思いながら眺めていたのでした。

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2010年07月27日

あきの70路を語る・・・2022

弟 B
わたしは小学3年まで祖母の家で暮らしました。昭和12年、父母は、山の中にいては子どもの教育が覚束ないと、松本へ出て木炭と米を主とした商売を始めました。夫婦で働くので、幼い2人を抱えては、足手まといになると、わたしを祖母に預けたのです。
小学4年のときに、父母に引き取られましたが、お互いひとりっ子で育ったため、なかなか仲良くなれずに、よく喧嘩をしました。
仲良くなったのは思春期ごろ。人生が分かりかけてきたせいと思います。わたしが河出書房から刊行された「哲学全集」を毎月T冊ずつ買うと、弟も読みはじめて、本を通して共通の話ができるようになりました。
夜遅く、勉強に疲れた弟が散歩しようとわたしを誘い、2人でススキ川の土手を、ヘーゲルやショーペンハウエルを論じあって歩きました。弟は背が高かったので、いつも横を向いては見上げる形で話をしたものです。

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2010年07月26日

あきの70路を語る・・・2021

弟 A
たった1人の兄弟でした。5歳の時に腎臓を患い、医者を5回変えて、ようやく高山先生と出会い一命をとりとめました。それほど重い病気でしたから、母は弟が小学生のころ、風邪をひくと、2本の試験管に尿を取り、うしろに黒い布を貼った板を置いて、一方の試験管に、蛋白の検査薬を入れ調べていました。必ず白い線がスーっと出ましたが、何事もなくハードな受験勉強も突破して上京したのです。
亡くなったのは、T大の教養学部2年生のとき。夏休みを終えて、9月から専門学部に進むという日でした。「理論物理に進みたいけれど、家のことを考えると、収入も気にしなければならないから、応用物理に進むべきか」などと迷って、わたしに相談していました。
まさか新学期が始まる日(9月1日)に死ぬなんて…。家族は茫然とし、父は「死ぬと分かっていたら、病院から連れ帰って家中で死にたかった」と嘆きました。腕には7月、美ヶ原に登った時の日焼けの時計の皮跡がくっきり残っていました。

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2010年07月25日

あきの70路を語る・・・2020

弟 @
7月24日は、昭和30年に20歳で亡くなった弟の誕生日。2つ違いですから生きていれば、75歳になります。
その日、わたしは帰宅途中、家庭教師に行く弟とすれ違ったのです。遠くにわたしを見つけた弟は、近づくと、にこにこしながら「今夜はカレーライスだぞ」と、嬉しそうに言いました。私の帰るのを待っていた母が、「肉を買ってきてちょうだい」と言い、家に上がらないまま100匁の肉を買いに肉屋へ走りました。ジャガイモ・タマネギ・人参と肉を煮て、そこへカレー粉と小麦粉を水で溶いて入れるだけのものです。戦後10年目にはケーキを食べる習慣などありませんでした。
まわりに淡いグレーの花模様がついたカレー皿に盛られたカレーライス…簡素な食卓でしたが家族4人がそろって「ハッピーバスデー」になりました。それから間もなく病魔が弟を襲います。でも、そんなことは知るよしもない誕生祝いでした。亡くなったのは、その日から1カ月とちょっと後のことです。

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2010年07月24日

あきの70路を語る・・・2019

「身の置き所がない」この言葉がぴったりする日が続いています。犬の散歩も5時過ぎてからでないと道路が熱くて、裸足で歩く犬にとっては大変です。だから道路の冷めるのを見計らって出かけます。そして公園に入ると、なるべく草の上を歩かせます。
今日も、けもの道の感じの場所を歩いていると、木の下を老夫婦が手をつないで歩いてきます。公園の木々としゃれた夫婦の姿は絵になり、外国の風景を思わせました。
そこを出たところで、今度は若い男女が、お互いの背に手を回し、楽しげに話しあいながら歩いています。こちらは、この暑いのにご苦労なこと…そう思えました。
ちなみに、老夫婦の方をよく観察すると、夫は半身不自由で、妻がそれを助けて歩いていたのでした。

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2010年07月23日

あきの70路を語る・・・2018

夕方のニュースが一斉に来日中の金・元工作員の動向を伝えて、ヘリコプターで東京遊覧や軽井沢の別荘滞在などはVIP待遇ではないかと批判します。
わたしはこれを不快な思いで聞きました。長年帰らぬ家族を待ち続けている人たちがゆったりした場所で、消息を聞く…政府はそんな考えで場所設定をしたのでしょう。人間的な計らいだと思います。
人がいろいろしゃべりたくなる切っ掛けは、個人的な人間関係ができた時です。「こんなに長い間待ち続けている人たちに何か伝えてあげたい」そうした金さんの気持ちを作り出すことが大切だったはず。それなのに、ヘリコプターは150万かかったとか、ノンストップで東京を駆け抜けてホテルに行ったのは、やりすぎじゃないかとか。肝っ玉の小さな事をシャーシャーとしゃべりまくる…その軽さに怒りがこみ上げました。

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2010年07月22日

あきの70路を語る・・・2017

【ちっとも動きがなかった家族に、ようやく動きが出る気配を感じます。もう何年かのちには孫の数も増えるでしょう。まだまだ赤ちゃんをお風呂にいれることができる自信があるなと思ったり、まわりが心配して手伝わせてくれないかなと考えたり。遊びに来たとき飛びまわれるよう家の中を広くしておかなければ…中略。せいぜい孫と遊べるように体を鍛えておかなければ…】
毎日書き続けているブログ。でも今夜はアイディアが浮かびません。そこで昔は何を書いたかなと、手繰るとno595に上のようなのがありました。
今は孫がいて、廊下には三輪車・ベビーカー・物置にはプール。孫の沐浴も手伝ったし、10月には新しい孫も生まれます。上のときは73歳。今はもうすぐ77歳。家族がばっちり増えました。

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2010年07月21日

あきの70路を語る・・・2016

快適に眠れるものがないかと思っていると、新聞広告のひんやりシーツが目に留まりました。クラレが生地を開発して、キシリトールが織り込まれていると書いてあります。ちょっと値段が高いけれど…清水の舞台から飛び降りました。商品が着いてみると、実用一点張りで、ムード・ゼロの代物。上へ掛けるのは、以前に買った夏用の麻のブランケットで、これも見たところはチャチ。ですが、さすがに麻は実力を発揮してくれます。
以上のような夏向きの寝床をつくって寝ています。
庭に面したガラス戸も雨戸も開けて寝ますが心配は無用。何といっても番犬と一緒ですから。窓もぜんぶ開け放っているので風の通りがよいです。夜中になると風は涼しくなって、ひんやりとほほをなでるほどです。枕元の電気もLED、スタンドのように熱を持つこともなく本が読めます。以上がわたしの耐暑方法です。

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2010年07月20日

あきの70路を語る・・・2015

言葉の好き嫌いについて。
「スミマセン」日本人は簡単に謝る傾向があると言うのは塩野七生さん。塩野さんがこの言葉を嫌うのは、スミマセンの裏に、これで一件落着に願いたいという意図が透けて見えるからと。なお、塩野さんは言います。「わたしの求めているのは、陳謝ではなく,以後をどのように進めていくつもりなのか」であると。それが選挙に負けると、辞めて責任を取れとマスコミまで騒ぎたてる…余計なお節介だとわたしなど思ってしまいます。辞めてすむでは、問題解決にはなりません。そんなことだから総理大臣が変わっても物事の解決になっていないのでは…。
政治家は何かというと「国民のみなさんが…」を持ち出しますが、これも漠然としていて、誰を指して言っているのか…軽い言葉です。
軽いと言えば、芸能人などが「勉強になりました」を軽く使うこと。そんな簡単なことで勉強になるのかな…わたしは考えこんでしまいます。

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2010年07月19日

あきの70路を語る・・・2014

身体のあらゆる組織や細胞は常に作り替えられ更新され続けていると話すのは、分子生物学者の福岡伸一氏。@消化管や口の中の細胞は2、3日ですべて入れ替わる。A筋肉の細胞は2週間で半分入れ替わる。骨も入れ替わっています。
久しぶりに人に会うと「お変わりありませんか」と挨拶するけれど、お変りは大ありなわけです。毎日壊し、毎日作り替えられているのが身体…こう考えると、食べる物の選択は積極的にと思ってしまいます。
わたしの場合、いつもタンパク質とカルシュームは頭に置きます。そして体にさす機械油のような役をする微量だけれど大切なビタミン等のことも忘れないようにします。炭水化物は好きですから、これは忘れているのに、余分に摂っています。
不思議なのは、こんなに大切にしているのに、日々老いに向かって進むこと。入れ替わる材料を良いものにしていても、これだけは止められません。

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2010年07月18日

あきの70路を語る・・・2013

また梅干しの話です。昨日から干し始めて、今夜で二晩目、出しっぱなしにしています。明日も天気がよさそうだから「三日三晩」は成功しそうです。
梅を干して、半日ほどしてからひっくり返すと、裏側になっていたほうは青い感じで、太陽の当たっていた方はいかにも梅干し色になります。ひっくり返すついでに、梅をもむことを思いつきました。こうすると中で種の離れ方が良くなり売っている南高梅の感じになります。
漬ける前に黄色に熟れた感じのは理想的梅干しになりますが、青くて堅かった梅はシワシワになり、もんでも柔らかくなりません。この青い方は梅酒用かジュース用に適しているけれど梅干しには今一つです。
今ごろになって、梅干しにする梅はすこし熟しているのが良いと、一般に言われている意味が分かってきました。
明日は三日目、一夜足りませんが、甕に入れて熟成させようと思います。

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2010年07月17日

あきの70路を語る・・・2012

名越康文精神科医のコラムから…
●舛添要一さん率いる新党改革は参院で議席を減らした…国民が最も総理にしたい政治家と言われただけに世間の無常を感じる人も…。
●私たちはある人物を評価するとき、その人固有の人格を見ているようだけれど、実は人の置かれている立場を通してでないとその人をはっきり見ることができないのでは…。
●つまりその人自身より、その人の立っている「舞台」の役割を見ているのではないか。だとすれば、人は自分の置かれた立場を自覚しそれに似つかわしいふるまいをすると、評価は高まるはず。従って立場が変化すると舛添さんのように、一気に影が薄まることもある。
●私たちはちょっとした集まりや飲み会で、集まった人たちを見て、自分が果たす役割を自覚するだけで、十分に評判はよくなるはずであるなどと、処世術まで述べていました。

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2010年07月16日

あきの70路を語る・・・2011

関東地方は夏らしい1日になりました。日が西に傾くのを待って犬の散歩に出かけます。日陰を選んで歩いていると、いつも会うセントバーナード犬が公園の道の真ん中に座っています。体中をうねらせるほどの荒い息と、口で息をするために、よだれもタラタラ…。立派な毛皮を着ていますからこんな日はクーラー2台のお世話になっているのだと、犬より小さい飼い主さんが話していました。
そこから、けもの道のような場所に入り、綱を離して少しの自由を犬に楽しませてやります。つぎは、子どもたちのザリガニ捕りをする場所へ。水辺にある柳の大木の下で、ベンチに寝転ぶと、風が待っていたように「涼」を感じさせ、柳の枝をランダムにゆすって、まるでフィギャ―スケートの選手に負けないくらいの優美を見せてくれました。
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2010年07月15日

あきの70路を語る・・・2010

「1Q84」はまず2冊が同時発売され、後からNO3が発売されました。先日「1Q84」の3を嫁さんにプレゼントされて読みました。作者の村上春樹氏は言います。
【僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる】
小学校の時にいっしょだった青豆と天吾の物語は「新興宗教」が絡むストーリーで、高速道路の避難階段を下りることから「1984」→「1Q84」年に入って行き、最後に高速道路の避難階段を上ることで現実に戻るという設定がされている物語です。
みんな自分は自由だと信じているのですが、何かの囲みにいつの間にか入ってしまう…何物にもとらわれない生き方をしたいと願っていながら、人間はそれほど強くない…そんなことを感じました。

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2010年07月14日

あきの70路を語る・・・2009

1歳5か月になる孫は、まだまだしゃべることはできません。ところがパパ・ママと3人で、たのしそうに会話をします。「ボオーっ」などと片言をいうと、これが両親には分かって、「ぼおーっ」と返す…するときゃっきゃっとうれしそうに笑うだけですが、前で見ているバアチャンには、これが会話に聞こえるから不思議です。
人間にとって、大切なのは、子供時代に「愛された」記憶があることのように思います。親が多少おかしな育て方をしても「愛」をもらって育った子は、人生で大きな躓きはしないですむように思うのですが…。
両親が離婚し、祖父母に育てられていた高一の保坂祐樹くんが祖母に刺されたと、今日の夕刊で読みました。ここに至るまでの葛藤は、祖母の側、祐樹くんの側、それぞれに別々な悩みがあり、深かったはずです。包丁を持ち出すに至った祖母の気持ちを考えると、たまらない思いがしました。

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2010年07月13日

あきの70路を語る・・・2008

後日談
「ねえ、はやぶさって、知っている? 」
今朝の見守りサポーターのとき、多くの子どもに聞いてみました。だいたい半分の子しか知りませんでした。しかも、テレビで見た…くらいの返事なのです。
【どうして。どうしてこんな大きなニュースを、子どもと親が話し合っていないの? 子の視野を広げる絶好のチャンスじゃない。先生はどうして子どもに話さなかったの? 子どもたちはこんなことを切っ掛けに、外に向かって伸びていくのに…いかにも惜しい】歯ぎしりしたいくらい残念に思いました。
「7月31日までJAXAで見せているよ。横浜線の淵野辺駅だから、すぐ近くだよ。夏休みになったら行ってくるといいよ。ブラネタリュームも見られるんだよ」
わたしが母親だったら、こんな機会は絶対に逃さないのに…。子どもはこんなことを知ることで、将来の自分を見つけていくはずなのに…もったいない。。。

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2010年07月12日

あきの70路を語る・・・2007

半日旅行D
つぎは、道を挟んだ博物館へ。どしゃ降りの中を移動しました。プラネタリュームを観るためです。劇場のように階段の腰かけが並ぶ場所に案内されると、舞台はなくて、半円状の白い天井だけがありました。
旅をした折など、いつも満天の星を眺めたいと願っているわたしは、「今度こそ…」と期待するのですが、日本は明るいところばかりで、未だ降るような星には出逢えていません。だからブラネタリュームで満天の星が観られる…そう恋い焦がれてやって来たのです。
――始まりました。まさに満天の星空を「はやぶさ」が飛んで行く…「はやぶさ」は何回も脱皮(ロケットを切り離す)しながらゆっくりと動いて行きます。最後の脱皮では横に翼を広げて威風堂々、まるで星たちを睥睨しているように…。イトカワに着陸した時や、満身創痍の体で自力帰還をしたときなどは涙が出そうになりました。

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