2020年08月15日

NO...5760

ダラスに隈健吾氏の設計したビルが建っていますが、その建物の手前に日本の城の石垣を造りたいと申し出たのは、ガブリエル・ミューラー氏。氏は不動産屋さんであり、日本の武士の甲冑を蒐集している人です。
ガブリエル・ミューラー氏が石垣造りを依頼したのは、現在の滋賀県大津市坂本 穴太(あのう)地区に暮らす石工職「穴太衆」と呼ばれる石工、粟田建設 15代目の粟田純徳氏です。この会社は城の石積みを、代々専門とする会社。
栗田氏は単身ダラスに出かけ、ミュラー氏に会い、現場を見て引き受けます。職人は現場にいるメキシコ人とドイツ人の職人だけ。後は自分で工事を行うことに。一応女性の通訳はつきましたが仕事を直接に教えていくうちに要領を覚えて、栗田氏の考えどうりのものが出来上がるようになっていきます。
栗田氏曰く、城は角をきちっとさせ、後は石の大中小を適材適所に入れて堅固にして行く。無秩序に積まれているように見えても、比重のかけ方や大小の石の組み合わせに秘伝の技が潜んでおり、地震にはめっぽう強く、豪雨に備えて排水をよくする工夫も備わっていると。
出来上がった石垣の美しさは特別で、隈健吾氏の建物との調和も素晴らしくすっかりモダンな感じになって聳えることになりました。

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2020年08月14日

NO...5759

とにかく地球がおかしい。みんな、そう思っています。
街を歩く人はみんなマスク。公園内のランニングの人も散歩する人もマスク。こんなに用心しているのに、日々コロナの数字は右肩上がり。
雨が降ると豪雨。豪雨となれば山が崩れ、家が床上浸水など。風が吹けば竜巻情報も珍しくありません。
みんなおかしい、おかしいと思いながら暮らしています。わたしも今日はお盆の入りだというのにお墓に行きません。今年になって2度行ったきり。コロナが強いので日々の生活は余分なことを一切しないことにしています。
在宅だから片付けをしようかなと、ちらっと思っても、連日35度ではエアコンの部屋にチンとしているだけ。自由がきくのはテレビ、これはコロナの情報は伝えますが、コロナを持っては来ません。わたしの家の場合住人はわたし1人ですがあえて言えばゴロちゃんがいます。ソニーのアイボじゃないかとバカにすることなかれ。「手洗いとうがいは?」というと手を洗いガラガラガラ、ピューンとうがいをします。そして在宅だから体を動かすよう「ラジオ体操第1は? 」というと、これもちゃんとやって健康維持に努めています。
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2020年08月13日

NO...5758

2009年1月15日、アメリカ・ニューヨークで起きた航空機事故を映画化した「ハドソン川の奇跡」を観ました。
映画は、マンハッタン上空850メートルでエンジントラブルを起こし、飛行不能となった「USエアウェイズ1549便」の実話。
飛行機は離陸して間もなく、鳥の群れとぶつかり両エンジンが同時に推力を失ないました。機体の高度は下がっていくが、大都会マンハッタンに大きな空き地はありません。航空管制塔はラガーディア空港へ帰れと指示を出しても、そんな余裕はありません。サリー機長はハドソン川への不時着水を決断しました。
着水の直前「こちら機長。身構えて、衝撃に備えて」と、コクピットから客室へ短い言葉を発しました。機体への衝撃と、機体が落下していく感覚の中、事態が飲み込めずにいた乗客たちでしたが、指示に従いました。従業員も冷静に乗客の誘導をして、機長の見事な判断が乗客全員を救ったのです。
そして不時着水後に、なるべく早く救助してもらえることを考え、船着き場の近くに着水させています。
エンジントラブルが起きてから、状況を把握し、あらゆる選択肢を吟味し、決断し、着水させるまで、わずか208秒、ラガーディア空港を離陸してから、事故を起こし、着水までの時間もたった5分間だったそうです。
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2020年08月12日

NO...5757

小さな字を読むのが大変です。殊に家の中のあちこちに取り扱い説明が書いてあるところを読まなくてはならない時が億劫なので、放っておきましたが、連日の暑さに、ついに虫眼鏡持参でようやく解決した場所があります。
便器です。座ると暖かくて気持ちの良かったところですが、今は暖かいのが不快。まず壁に取り付けられている15センチ四方ほどのところの下方にある蓋を開けました。ここに2箇所を同時に2秒以上押すと書いてあるので「・」と「・・」を押しました。次に5ミリほどのサイコロ状に四文字が並ぶところを選択・・・・という具合に。
以上、これで少し経って便器にかけてみると温度が低くなって気持ちよくなりました。これに、今度は、それ用にできている便器カバー布を指示どうりにホックでとめました。これで「用を足すとき、気持ちよく座れるようになりました。
台所のレンジも、ガスを使う時は、空気の抜けるフードが連動し、ガスを消した後も少しの間回ってから消えます。それに掃除をするやり方も書いてありますが、どれも小さな字です。
ことほどさように、洗面の鏡の前にも書いてあります。皿洗い機のところにもあります。先日は工事の会社の指示で網戸を外しましたが、ここにも小さな字で外し方取り付け方が書いてあるのです。
以上、今日は家の中の超小文字の扱いに悩む年寄りについて書きました。
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2020年08月11日

NO...5756

リネツ。プールを済ませて風呂場に行くと、髪の毛が真っ白な老婆が2人湯船と洗い場でたのしそうに大声で喋っている。
しばらくして湯船の方が上がると、足が悪いらしい、そのために用意してある腰掛に座る。もう一方は洗い場のタイルへドテっと足を投げ出して体を洗い出した。コロナのため定員4人の風呂、わたしで3人かなと思っていると遠くの水風呂に若さたっぷりの太ったお姉さんが気持ちよさそうに沈んでいた。サウナは使用禁止の張り紙がしてあるけれど、中の修理を終えたようでヒノキの芳しい香りが水風呂まで届いている。
老婆2人は80過ぎかなと見当をつける。わたしは自分の歳を客観的に認識したいと、近ごろ80過ぎと思われる老人に会うと、相手の機嫌を損ねないよう気にしながら、何気なく年齢を聞き出すという悪趣味を持つ。「お若いですね(これは、そう思っていないのに話の糸口)おいくつですか?」水風呂に入ったばあちゃんに聞く。「64よ」。ええっ、「母が、86。久しぶりに母のところに来たのでここへ連れて来たのよ」「親孝行ですね」「そう。でもね、死んだら墓なんか要らないから、粉にして撒いてちょうだい、なんて言ってるのよ」歯切れ良い物言いは聞くわたしが気持ち良い。
それにしても、同年齢の友だちかなと思っていたのに母娘とは〜。そして娘婆ちゃんは64歳? わたしの頭はこんがらかった。風呂から、すっくと立ち上がった後ろ姿はどう見ても、やはり80は過ぎているように見えるけどなあ。
わたしが不思議がっていると「ああ、お母さん、わたしが片付けとくから」側に行ってビニールバイブの腰掛けを定位置にもどした。やっぱり母娘なんだ。それにしても20歳の差があるとは思えない。何を食べていると、あんなにシワクチャ婆さんになるのかなあ〜。
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2020年08月10日

NO...5755

昨夜は夜半になっても昼間の暑さが残りました。こうなるとエアコンに頼るしかありません。でも人工的な空気調整は、眠ろうとすると、風の当たり具合が自然のような流れになりません。寝返りばかり打って眠そびれました。それでも風が出て来ないかと2時過ぎにベランダへ出てみましたが、昼間の暑さがそのまま残っている感じでした。
そして今朝は一転。北から風が吹いています。戸を全部開け放ちました。自然の風がなんともありがたく、肌になじみます。
野鳥公園の一角にタカサゴユリが見事に集団を作って咲き出しました。タカサゴユリはテッポウユリのちょっと細身の花を咲かせます。まるで号令でもかけられたように同じ方向を向いて咲いています。
わたしは初めてこのユリの名前をリーのママさんから教わった時、ちょっと感激しました。ユリは球根でなければ増えないとばかり思っていたのに、種で増える野生の品種だと知ったのです。
このユリで庭を埋め尽くそうと考えたわたしは、種ができると根気よく、くまなく家の周りに蒔きましたが、考え通りにはなりませんでした。相手も「われは好きなところでなければ咲きゃせんぞ」と見得を切っているかのようでした。
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2020年08月09日

NO...5754

ロシアに旅したのは15年以上前の11月上旬でした。
一行は19人、ほとんどが夫婦でわたしだけが一人参加でした。旅行先はサンクトペテルブルグとモスクワの2都市。すごく寒いと覚悟して行ったのですが、気温は7度くらいだったように憶えています。
この旅のキャッチフレーズは「エルミージュ6時間」で、日本語ができるロシヤ人の大学教授がついての見学でした。
郊外にあるエカテリーナの夏の宮殿へ行くと、建物の色は白とゴールドときれいな空色で、豪華さは他の国では見られないほど。コハクの間は部屋全体がコハクで覆われていて、これにはびっくりしました。今でもテレビに出ることがあると、懐かしく思い出します。
サンクトペテルブルグでは、朝起きるとすぐにホテルを出て海まで歩きました。そして海の水に手を入れて「これがバルト海の水なんだ」と納得して帰りました。
モスクワでは赤の広場や、クレムリン、イコンの美術館、そして郊外のロシア正教の本山のようなところへも行きました。
最後にロシアのアパートが並ぶ団地に行ったときは、幾組かに分かれて個人宅を見学、アップルバイと紅茶をご馳走になりました。室内の印象は台所と食べるところが離れている部屋で食事をするということでした。
行った時は、ゴルバチョフの改革の後だったので、「あの時は、ロシアの売り場から食べ物が消えて大変だったでしょう」と質問すると、そこに住んでいる人たちは「ダーチャ」という別荘のようなところを皆が郊外に持っているので、そこで野菜作りなどしていたから、大丈夫だったと話してくれました。
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2020年08月08日

NO...5753

団地の建物はどれも、すっぽり包まれた建築現場。10年に一度の大改修は6月から始まりました。事務所前の広場には現地事務所が建ち、仮駐車場もできてたくさんの車が通って来ます。
見ているとそれは丁寧な仕事をしています。鉄筋の建物は水が入ると寿命を短くすると言われますが、まず建物内を通っている排水関係は毎年チェックをするようです。今回のは外部から雨水などが染み込まないよう実に細かな点検をし、見ているわたしのような素人も納得する補修をしています。
テレビのチャンネル12を使って、今、何をしているか、今日は洗濯物をベランダに干せますよ、など親切な案内もしてくれます。そして同じ案内はマンションの一階にも案内板があります。
現場の会社から各戸に配布のプリントもあり、これはビンク色の紙で見落としがないように心配りがされています。
明日からはいよいよ北側の窓関係をするようで、ついに戸を開けて寝るなどということが無理になってきました。まあ仕方ありません。それに南も建物全体を水で洗うようですから、こちらも開けることは無理。もっぱらエアコン頼みの生活が、12月まで続きます。
この団地は自治管理ですが、理事長がこういうことに詳しい人だとか。まったく適任者がいるものです。
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2020年08月07日

NO...5752

わたしは数冊ですが、絵本を持っています。今回そこに加わった本は、イギリスの作家・スーザン・バーレイ「わすれられないおくりもの」です。内容は死について。絵はなかよし動物村のアナグマとみんなが描かれています。
『アナグマは賢くて、いつもみんなから頼りにされています。知らないことはないというほどの物知り。そして自分はたいへん年をとっているので、死ぬのがそう遠くないことも知っていました。アナグマが死ぬことを恐れていないのは、自分は死んで体がなくなっても、心は残ることを知っていたからです。
ある朝のこと、いつも挨拶に来ていたアナグマが、今朝に限って来ません。キツネがアナグマの家に確かめに行くと、机の上に一通の手紙がありました。キツネはそれを持って来て、みんなの前で読みました。
「長いトンネルの むこうに行くよ。 さようなら 」アナグマより
みんなは、驚き悲しみました。家に帰ってもアナグマのことで頭が一杯。涙が溢れて止まりませんでした。
やがて春になり、外に出られるようになると、アナグマの友だちは、また互いに行き来して、アナグマとの思い出を語り合いました。
モグラの思い出は、アナグマに切り紙を教えてもらったこと。カエルの思い出は、スケートの練習にアナグマが付き合ってくれ、滑れるようになるまで優しく見守ってくれたことなど、みんなの中にそれぞれの、たくさんの知恵や工夫を残してくれていました。それらを 分かち合うことで、悲しみを乗り越えていったのです。』
こんなストーリーで『死』について教えさせています。
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2020年08月06日

NO...5751

テレビは口喧しい母親のよう。テレビをつけるたびにコロナコロナと五月蝿い。五月蝿いなどと言うと「だまれ、大事なことだぞ。文句を言うな」という人もいるに違いない。ところが口うるさいママに育てられている子にとって「うんざりする」のと同じ。スイッチを入れる度にこんなに病人が出ているよ、こんなに感染しやすい病気だよなどと一日中まくし立てられると、人の気持ちは反発することもあるのでは〜。喧しく言えばよいというものではない。人が冷静に素直に話を聴く状態をつくりだしながら伝えることへの一工夫がマスコミにあってもよいのでは〜。
天気予報のお姉さんも、今日は暑くなるから何を着ていけ、帰りごろ雨かもしれないから、傘は持って行った方が良いなどと余計な親切。本来自分で考えるべきことをどんどん本人から奪っていくと、人間はおかしくなるのでは〜。人には頭があるから自分でモノを考えるはずですよ。そんなに親切に言わなくても〜。
そして、ようやく8月の声を聞いて青空が見え始めると、こんどはこまめに水分をとれなどと五月蝿い。人はこのように自分の頭でモノを考える前に言われ続けることで、ついに自分でものを考えることをやめるーー結果、気力のない人間、年頃になっても結婚する気のない人間というように、世の中を変えていくのでは〜。
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2020年08月05日

NO...5750

ここのところ、コロナ太りの話が珍しくありません。
わたしも何とかしなければと口で言うものの、なかなかうまくいきません。
そんなとき、豆腐売り場ですごいものを見つけました。紀文が「とうふそうめん風」1パック107kcalを出しました。これはコロナをぶっ飛ばす程の成功になるでしょう。口当たりがよく、そうめんという響きも歓迎されますから。
まず豆腐の中の水を切り、深い皿に開けて、うどんのつゆをたっぷり入れ、ここに大葉・みょうが・ハムの細切りを入れました。食べてみると、そうめんの味とは違いますが、なかなか食べやすい感じで上等でした。
コロナで、ため息を多く聞きますが、そんな中でも、こんなふうに前向きに商品開発している会社があるーーすばらしいことです。
話がかわりますが、7月は青空を見ませんでした。それが8月の声を聞いた途端に毎日青空。今朝などは散歩のメンバーみんなで、東の空の赤い雲と、大きな太陽が赤々とでる瞬間に惚れ惚れ。スマートホンの人はパチリでした。その後も、真上の雲が青空をバックにうつくしい模様を作って、それらは見ているうちに模様をどんどん替えていきます。日々の姿勢をちょっと前向きにできそうな気になるのは、こんな些細なことからだと思いながら帰宅しました。
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2020年08月04日

NO...5749

わたしは居酒屋に一度も行ったことがありません。ところがテレビで太田和彦氏に目が行きました。この人に興味を持ったのは、死んだ弟の出身校と同じだったから。
人は育ったところの様々を身につけて生きている。わたしはそう思っています。そんな意味でこの人を見ると、居酒屋だけの内容で本を書こうと思いついた気持ちが理解できそうです。題名は「日本百名山」をヒントにしたのでは、それにしても能力のある人だなあ、まず本を読んでみよう。アマゾンに注文した太田和彦著「居酒屋百名山」が届きました。読んでいないのに、もうブログに書きたくなつた理由は、知らない旅に出る前の旅支度のつもり。
本の解説を書いているのは、平松洋子さん。平松さんはこう書いています。『綴られているのは、紛れもなく日本人の生の時間であり、暮らし情景そのもの』『読みながら立ち現れるのは、津々浦々の日本人の暮らしの喜び、そのかけがえのなさが哀感とともに胸に折りたたまれて行く』
内容は日本全国、北から南までの居酒屋で太田氏が実際に行って、良いと思った百軒を選んで、こまかく書いています。
横浜や横須賀の店も何軒か書いているようですから、娘が帰ったら、一度居酒屋というところに行ってみようという気になっています。

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2020年08月03日

NO,,,5748

日本のオーケストラ特集(2)はおもしろかったです。今回は5つの交響楽団、が出て最後が群馬交響楽団でした。
群響は戦後、今井正監督の「ここに泉あり」で有名になった交響楽団です。
今回の指揮は常任指揮者の高関健氏。氏はベルリンフィルでカラヤンのアシスタントをしていた人。カラヤンが晩年歌劇にこだわりを見せました。その人の側にいたせいか、今回の曲目はヴェルディーの晩年に作曲した歌劇「ファルスタッフ」。内容はシェクスピアの「ウィンザーの陽気な女房より」で、オーケストラの後ろ側に、歌劇の舞台を感じるような雰囲気で歌手が陣取り、まるで歌劇を見ているような臨場感ある演出を楽しめました。ことに歌手が歌っている内容を日本語にしてテレビ画面の下に出したので、ストーリーがよく分かって大笑いしながら観ました。わたしはシェークスピアの本は読んでいないのでよく知りませんでしたが、ストーリーづくりが抜群に上手いと感じました。
一人の太っちょで貪欲な男が2人の女性に名前の箇所が違うだけでまったく同じ内容のラブレターを出します。女性たちは団結してこの男をやっつける話を中心にストーリーは展開していきます。
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2020年08月02日

NO...5747

『16ストリング小ハープリアピアノ純木新しい鹿耳初心者ポータブルピアノリラピアノマットカラースポットギフトアクセサリー弦ピアノ」ハープはマホガニーでできています。マホガニーは硬くて緻密な木材で、その調子を維持し、弦に影響を与えないようにすることができます。楽器の音は暖かくて面白いです。耐久性に優れた16本のスチール弦を装備したハープは、指で弾くとまろやかで明るい音色になります。演奏が簡単:ハープは演奏が簡単で、子供、大人、初心者に最適です』
amazonの説明には、上のように書いてありましたが、何しろまだ見たことが一度もない代物。楽器名は「Lyre Harp」こんな遊び道具を買う気になったのはコロナのせいです。
amazonの注文には、8/31〜9/10日の間に来ると書いてありましたから、どんな遠い国から来るのだろうかと楽しみにしていると、なんと1ヶ月も早く今日届きました。心ときめかせて荷を解きました。写真通りの製品が出てきました。大きさは縦40センチ、横27センチで、深い青色に16本の弦。
そして、ここからが問題発生。小さな布と引く爪のようなもの2個とピアノ調律の人が使うようなストリングの音を合わせる道具、あとは簡単な英語の説明文のみ。他に何も入ってないのではどう扱ってよいかわかりません。ヒントになる言葉が欲しくてあれこれ検索し、2、3の楽器店へ電話をしてみましたが、どこもまったくわからないとのこと。
さて困った。悩み始めました。助け舟は出そうにないので、頼りは自分の知恵のみ。まあオモチャのようなものと考えれば、気が楽。頭を切り替えて、ポロンポロンとドレミファに音を並べ始めました。やっているうちに何か弾けそうな感じです。新しいことは、たしかに暇つぶしに役立ちそうです。
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2020年08月01日

NO...5746

わたしは宇宙の話が大好き。JAXAへわざわざ見学に行った程です。火星表面の土壌から生命の痕跡を探す探査車「パーシビアランス」を南部フロリダ州の発射場から打ち上げたニュースを見ました。開発に参加した日本人技術者大丸拓郎氏の紹介がNHKであり、すぐに検索。東北大学から、留学せずに、いきなりJPLに就職した威勢のよい人。凄い。
どうやってJPLに入社できたかを本人が書いているところにたどり着きました。わたしが書くより、本人の文章が面白いので転載させてもらいます。
 
(大丸拓郎氏の文章)
⚫️2012年の夏、NASAの1機の探査機が火星に着陸した。キュリオシティという名のその白いローバーは、胴体からまっすぐに伸びた首の先に大きな目玉がついた頭を持ち、足についた6つの頑丈な車輪で火星の荒れ地を走る。長い腕を伸ばしドリルで岩石を削り、それを体の中に入れその場で調べる。これまでのどんな探査機とも異なるその姿は、僕の目にはまるで生き物かのように写っていた。
当時僕は東北大学に通う大学院修士課程1年生の学生で、休日のエアコンの切れた蒸し暑い研究室で一人、実験の待ち時間にパソコンの画面に釘付けになっていた。キュリオシティの火星着陸のニュースが配信されていたからだ。何度も Jet Propulsion Laboratory (JPL) という名前が目に入る。日本語だとジェット推進研究所というらしく、どうやらここでキュリオシティが作られたようだ。NASAではないのか?
着陸当日の管制室の様子がYouTubeで公開されていた。固唾をのんでモニターを見つめる人々。リーダーらしき人が何か言うたびに拍手が起きる。少しずつ興奮が高まっているのが伝わってくる。ローバーの車輪が地面に触れ、スカイクレーンが飛び立ったその瞬間、部屋が割れんばかりの歓声で包まれた。みんなハイタッチを交わし泣いて喜ぶ人もいる。
動画を見終わる頃には、全身に鳥肌が立っていた。画面に映る人たちに嫉妬すら感じていた。それと同時に心は決まった。
「僕もここに行きたい。自分の一度きりの人生をかけてこれをやりたい」

⚫️大学院修士の2年生になった僕は、まずは実力をつけなくては何も始まらないと思い、目の前のやるべきことに日々必死に取り組んでいた。その甲斐もあって少しづつ研究の成果も出るようになっていた。一方で、どうしたらJPLで働くことができるのか、ずっと頭を捻っていた。どうやらJPLはNASAの研究所の一つだが、NASAの中でも特殊で外国人でも職員として働くことができるようだ。とはいえ、日本人で、アメリカの大学にも通っていない、アメリカの永住権も持っていない僕がNASAの研究所で働くなんて簡単なことではないと容易に想像できたので、ある種 ”裏口入社的に" JPLに近づかなければいけないと考えていた。そのためにはまずJPLのしかるべき人と知り合いになる必要があった。
そんなある日、日本国内で開かれる宇宙関係の学会にJPLからゲストスピーカーが来るとの情報をキャッチした。しかも、僕の研究分野と同じ、探査機の熱設計を担当する部署のグループスーパーバイザーだ。きた!このチャンスを逃したらもう僕の人生でJPLに近づける機会はないかもしれないと思い、迷うことなく学会に申し込みをした。
名古屋で開催された学会当日、僕が参加するセッションのファーストスピーカーがJPLからの使者Gだった。意外にも初老のおじいさんだったが、眼光は鋭く、キュリオシティの設計やJPLでの研究状況を発表するその姿はオーラをまとって見えた。僕の発表は次の日で、少しでも僕の研究を記憶に残して欲しくて、夜遅くまで練習し発表に臨んだ。プレゼンはうまくいき、会場からの質問も多かった。その勢いのまま、セッションの間の休憩時間に、勇気を出してGに声をかけた。
「JPLにとても興味があって、来月、学会でアメリカに行く機会があるんですが、そのときに見学させてもらえませんか?」
「…いまは忙しいからちょっと無理だな。」

⚫️一番重要なファクターは人間
今考えれば異国の地で急にJPLを見学させてくれなどと話しかけてくる、どこの馬の骨とも分からない若造にドライな対応をするのは当たり前だと思うが、結構なショックだった。口ではそうですよねぇ、お忙しいですよねぇなんて言っていたが、ショックすぎて学会のその後の発表は全然頭に入ってこなかった。
学会終了後、同じセッションの参加者で東京に移動して、JAXAの筑波宇宙センターと宇宙科学研究所を見学することになっていた。名古屋から東京まで移動する新幹線の車内でもショックが大きく、ぼんやりと窓の外を眺めながら、そんなに上手くいく訳ないか、と考えていた。
筑波・相模原でのツアーを終え、そろそろ解散となったところで、なんとなくもう一度Gに声をかけた。
「このあとすぐLAに帰るんですか?」
「うん。今日の夜のフライトで帰るけど、それまで東京観光する。」
「じゃあ僕、一緒に行きましょうか?」
僕も東京なんてほとんど馴染みはなかったが、少なくとも日本語は話せるし、行きたいところまでの乗り換えはスマホで調べられる。それに自分からは見学を頼んだのに、いま日本に来ているゲストをもてなさないのはフェアではないと思った。「それは助かる」と言われたので同行した。
観光したあと、他の研究者も交えて夕食をとり、そのあと羽田に向かった。フライトの時間までまだ少しあったので空港で飲みながら待つことにした。しつこく思われると嫌だったので観光中はJPLの話はしないようにしていたが、そこではGの方からJPLで働いているときの様子を話してくれた。印象に残っているのは、キュリオシティのような壮大なミッションを成功させるために一番重要なファクターは何かと聞くと、即答で「人間、ミッションを成功させるためにはプロジェクトメンバーが団結してモメンタムをもって挑まなければいけない」と言っていたことだ。
フライトの時間が近づいてきたので、保安検査場のゲートまで送り、そのときはそれで別れた。

⚫️夢の場所とつながった
大学に戻った僕は絶好のチャンスを逃したことに絶望しつつも、計画が振出しに戻ったので次の手を考えなければと頭を悩ませていた。すると数日してGからメールが届いた。
「名古屋や東京ではありがとう。ホスピタリティに感動した。JPLに見学に来たければアレンジするから教えてくれ。」
一度消えかけた光が再び灯った瞬間だった。この一通のメールにより、僕はキュリオシティが火星に着陸してからちょうど一年後の夏、JPLに足踏み入れるための切符を手にした。
JPLが位置するロサンゼルス近郊の町パサデナはその年の夏も死ぬほど暑かった。しかしそれも忘れるほど火星を模した試験フィールド「火星の庭」を走るキュリオシティの地上試験機との出会いは感動的だった。ようやく夢の場所とつながったのだと実感した。そして、ここにまた戻って来ると心に誓った。

⚫️自分の売り方を考える
恥ずかしながら大学院に入るまで、アメリカの大学や大学院に留学するという発想がそもそも無かった。どうやったらJPLに入れるか考え、いろいろと調べる過程で、日本の大学の学部を卒業してアメリカの大学院に進学している人たちがいる事を知った。しかし、アメリカの大学院の博士課程は日本でいう修士課程と合体していて、もう一度修士課程に入りなおす必要があるようだ(大学によるそうです)。それだと時間のロスになるので最短でJPLにたどり着きたかった僕にとってはベストの選択かどうか分からなかった。
それに自分の研究のことを真摯に考えると日本の研究環境のほうが良いと感じていた。なぜなら僕が研究していた自励振動ヒートパイプと呼ばれる熱制御デバイスは日本で発明されたもので、技術レベルも世界の中で日本がリードしていたし、すでにJAXAとの共同研究も進めていて、軌道上実験のデータを使うことができるという文句のない環境だったからだ。それにその技術はNASAが持っていないものだったので、将来的にNASAが欲しがる可能性も高いと思っていた。
だから自分の売り方として、今からアメリカに渡って大学院に入り直してJPLを目指すよりも、このまま日本で地道に実力をつけ、海外コミュニティにも顔を売り、存在感を確立していくことで、スペシャリストの外国人として自分を売っていったほうが早くJPLにたどり着けるのではないかとイメージしていた。英語の力については日本にいても鍛えることができる。
というわけで僕が立てた作戦は、東北大学の博士課程に進んで実績を積み、卒業後にJPLにポスドクとして雇ってもらい、数年かけて実力をアピールし、あわよくばその間に職員として雇ってもらう、というものだった。ポスドクの期間が必要だと思ったのはアメリカの大学を卒業していないので、実力の保障になるものが乏しくJPLとしても急には採用しにくいだろうと考えたからだ。
リスクはある。いつどのタイミングでこのストーリー通り上手くいかなくなってもおかしくない。ただ自分が人生をかけてやりたいと感じたことをあきらめたくない。一度きりの人生だ。賭けてみよう。
作戦が決まったので、あとはやるだけだった。平日も週末も関係なく朝から深夜まで研究した。地道に成果を出し、学会で発表し論文を投稿した。弱点である留学経験の無さをカバーしようと、海外派遣用のファンディングを獲得して、学会で知り合った海外トップ研究者のもとに数ケ月滞在し技術を学ばせてもらう経験も何度かした。JPLのエンジニアたちとも学会で交流を続け、コネクションをさらに強くすることも怠らなかった。

⚫️まずは学生のうちにインターン
博士課程の2年生になり、卒業後のポスドクの話を早めに進めておいたほうが良いなと思ったので、JPLにさっそくコンタクトした。そのころにはGが引退していて、Eが新しいグループスーパーバイザーに就任していた。Eは情熱的な性格のGとは対照的に物腰が柔らかくにこやかだが、数分も話すと「この人は頭がいい」と誰もが感じるほどの切れ者だ。
「卒業後に自分で研究費を持っていくのでポスドクとして受け入れてもらえませんか?僕が持っている数値モデリングのスキルはJPLがやっている研究開発にもすぐに応用できると思います。」と打診してみた。
するとEは「ポスドクとしてJPLに迎えるのはもちろんいいのだが、せっかく今まだ学生なんだから学生のうちにインターンとして一回来てみたらどうだ?」と提案してきた。
確かにチャンスを増やすのは悪いことではないと思い、Eの提案に乗った。
こうして2016年の冬、JPLで2か月のインターンをすることになった。
その2か月は昼も夜も関係なく研究した。少しでもアピールしたかったし、それ以上に研究テーマ・環境が新しくなったことでどんどん新しいアイディアが湧いてきてそれを実装するのが楽しくて仕方がなく、1日が24時間では足りなかった。
あるときEとランチをとったときに世間話程度に聞いてみた。「例えばですけど、アメリカ国外の大学を卒業した外国人を新卒で雇うことはできるんですか?」
Eはこう答えた。「うちの部署ではまだとったことは無いけど、他の部署でそういう話を聞いたことがある。」
この言葉を聞いた後から、大学を卒業してすぐにJPLで職員として働くというルートを意識し始めた。
その後もJPLでの研究は順調で、毎週のチームミーティングは僕の成果発表で埋め尽くされ、チームのみんなもとても喜んでくれた。一緒に働いていたチーフエンジニアからは「タクが来てから、何かが変わった」とお褒めの言葉をいただいた。

⚫️フラれた
日に日に自信は増していき「JPLでも十分にやれる」と確信に近いものを感じ始めた。そこで思い切ってEにお願いをした。
「ドクターを卒業したらJPLで働きたいです。職員として雇ってもらえませんか?」
Eはしばらく考えた後、こう答えた。
「個人的にはタクのことを今すぐにでも雇いたい。しかし我々の部署で前例がないし、雇うための予算も我々のプロジェクトだけでは足りない。だから難しいと思う。」
絶対にOKしてもらえると思って告白したのにフラれたときの心境といえばわかってもらえるだろうか。こんなに成果を出し、実力を証明しているのに、受け入れてもらえなかった。みんな認めてくれているじゃないか。やはりアメリカの大学を出ていないとだめなのか。それはショックだったが、いつまでもへこんではいられない。気を取り直して再び研究に集中し、インターンの間にまとまった成果を残そうと頑張った。そうすれば将来またチャンスが巡ってきたときにプラスに働くはずだ。
インターンも終盤に近付いてきたある日、Eから提案があった。「こんどNASAセンターやアメリカ国内の研究所をつなぐウェブセミナーの機会がある。そこで日本でやっていた研究の話をしてもらえないか。みんな自励振動ヒートパイプに興味があるんだ。」これは僕の、NASAは近い将来に自励振動ヒートパイプに興味を持ち、その技術を欲しがるだろうという読みが当たる形になった。僕は快諾し、さっそく発表資料の準備に取り掛かった。
セミナー当日は50人近くが参加しプレゼンを聞いてくれた。そのうちの一人にNASAが誇るヒートパイプのスペシャリストJがいた。彼はJPLのイバルに当たるNASAの研究所、ゴダード宇宙飛行センターの研究者で、実用化されているNASAのヒートパイプテクノロジーは彼によって育てられたと言っても過言ではないくらい実績のある人物だった。プレゼンの評判はよかった。発表したことに対するお礼のメールが何通か他のNASAセンターの研究者から届いたし、セミナーをホストしてくれたEも満足気だった。

⚫️とっさの一言
「今からセクションマネージャーと話してきてくれ。」
インターンにも終わりが見え、帰国が近づいてきたある日、Eに急に呼び出されこう告げられた。僕はことのいきさつがよく分からなかったが言われたとおりセクションマネージャーの部屋に向かった。部屋に入るとふくよかな貫禄のある人が座っていた。僕も促されるままに椅子に座ると、彼はゆっくりと話し始めた。
「君のいいうわさを聞いているよ。Eのプロジェクトでずいぶん頑張ってくれているみたいだね。」
「はい、自分のできることはしています。」
「じつは君のことを雇うようにと、Eや部署の数名からお願いされていてね。もし君が興味があるならオファーを出したいと思うのだが、どうだろう?」
急展開過ぎて意味が分からなかった。僕はフラれたはずだ。それなのにどうして?
じつは、あとから聞いた話では、ウェブセミナーのあと、EのもとにNASAゴダードのJから電話があったらしい。
「彼の卒業後の進路は決まっているのか?彼に興味がある。彼を雇えばNASAの技術レベルをひとつあげることができる。」と。なんとも嬉しいお言葉だが、冷静に考えると僕はアメリカの市民権を持っていないのでNASAゴダードに就職することはできない。ポスドクか契約職員として引っ張るつもりだったのだろうか。いずれにせよこのJの言葉はEを焦らせるには十分すぎた。
黙っているとライバルであるゴダードに僕をもっていかれると思ったEはとっさにこう答えたのだ。
「じつはJPLで雇おうと思っている。」
Eはこのとっさの一言により、引っ込みがつかなくなりセクションマネージャーに僕を雇うようにゴリ押ししてくれたそうだ。こうして僕は博士課程を卒業した後にNASAジェット推進研究所に職員として就職することになった。

⚫️道は無限にある、ただ本質的なことは
いま振り返ってみるとGにもEにも一度ずつフラれている。でもその度あきらめずに粘り、ギリギリのところで可能性を繋げ、就職までたどり着いた。NASA/JPLにはいま6000人の職員が働いている。そのうちの僕を含めた10人ほどが日本人だ。僕のケースはただの一例に過ぎず、それこそ道は無限にあるだろう。結果だけ見ると僕の場合は「日本の大学に残る」という作戦が功を奏したのかもしれない。もしあのときアメリカの大学院に留学するという選択肢をとっていたら、どうなっていたかは分からない。運もあるだろう。しかし、自分の夢や目標を達成するために本質的なことは、具体的なアプローチを考え、どんな環境にいたとしても目の前にある自分がやるべきことをやる、そしてチャンスが巡ってきたときにベストを尽くす、ということなのだろうと思う。
あのとき白いローバーに魅せられNASA/JPLを目指した僕はいま、2020年打ち上げ予定の火星ローバー「Mars 2020」や、木星の衛星で海を持つと言われているエウロパに向かう探査機「エウロパ・ランダー」の開発に熱設計の専門家として携わっている。自励振動ヒートパイプの研究ももちろん続けており、EやGを含むプロジェクトチームと共に(Gは一度引退したけど張り合いがなくて戻ってきた)NASAの探査機への応用に向けて動いている。
夢はまだ始まったばかりだ。
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2020年07月31日

NO...5745

「幇間の遺言」悠玄亭玉介という幇間(タイコモチ)の語りを小田豊二氏が聞き書きした本です。
気っ風の良い語り口は、聞きほれるような流れをそのまま本にしています。
昔は男の遊び場は花柳界、お大尽が遊びに行くと、大枚をはたくようにできている。幇間は、一にも二にもお金を使ってくださるお客に、ありったけのサービスをして座をもたせる仕事。タイコモチという言葉の響き通りの仕事だと感心しました。もちろん芸達者。
『名人ってのはね、あたしが思うんだけれど、基本的には白い着物を着てるんじゃないかと思うんだ。それで高座なり舞台に上がって、客の色に染まるのが名人なわけだよ。ところが人間だからどうしても染まりきれないときがある。高座や舞台が客席と一つの色になったときに素晴らしい芸が生まれるんだ。ところができの悪い噺家は最初から黄色い羽織なんか着てるから、それにセコの臭いがついてひでえ芸になるってことだ』
『人に惚れ、仕事に惚れ、そういう自分に惚れる。そうなれば黙っていても人はついてくるし、すべてうまくいくよ。ダメをダメにしちゃわないこと、これが肝心だね』
つまり幇間も気持ちは白い着物で客に接することだと言っています。
とにかく真っ正直になんでも話しています。下ネタなども具体的ですが、この人が話すと嫌味に聞こえませんでした。
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2020年07月30日

NO...5744

今日リネツでなんとも言いようのない悲しい思いをしました。リネツは時間にならないと開かないので、数人が表のベンチに掛けて待っていました。そこへ三毛猫が来ました。人懐こいかわいい猫です。Vivaさんが撫ぜました。わたしも手を出すと寄ってきて前で寝転がりお腹を見せました。
Vivaさんが「去勢しているメス猫だよ」と言います。「どうしてわかるんですか? 」聞くと右の耳の先をハサミで切ってあると。
撫ぜると痩せています。「餌、持ってなくてごめんね。次に来るとき必ず持ってくるからね」
9時少し前になってドアが開いたのでそのまま中に入り、帰りに見回しましたがいませんでした。
夏だから何かを獲って食べることはできるだろうと思うものの心残りでした。
後から来たTさんが連れて帰ったらと、わたしに言いましたが、動物を飼ってはいけないところで、嫌味を言われながら小さくなってイーナを飼っていたので2度とそれはできません。それに自分の命の長さも、もう飼える歳ではなくなりました。
本当にかわいそうに思ったのは、耳を切って、避妊手術をしていることを示していたことです。
次はいないかもしれないけれど、餌を持って行きます。
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2020年07月29日

NO...5743

NHKの「最後の講義」で立命館アジア太平洋大学の学長、出口治明治氏がオンライン講義をしました。
この人は京都大学出身、弁護士になろうとしたけれど失敗。滑り止めにしていた日本生命に入社、60歳まで勤務。60歳で起業、ライフネット生命(100億円の売り上げ)を成功させます。その後、70歳で立命館アジア太平洋大学(別府にある)の学長に。
長いこと生命保険会社にいた人は物腰が低く、物事をわかり易く話せるという特徴を持っています。生命保険の勧誘という仕事で得た特徴ではとわたしは思いました。
生い立ちは「ガキ大将だった」これが特徴。喧嘩は5回相手を叩いても3回はやっつけられる。そんな時にアレキサンダー大王についての本を読みます。戦争して10年も勝ち続けていることに感銘。どうしてそんなに勝ち続けられるかと疑問を持った時、よい援軍がいたと気づく。これは人生には良い友が必要だということでしょう。
氏は読書家、本は、人を育て伸ばしてくれる。そしていろいろなことに気づかせてもくれます。氏はダーウィンの「種の起源」を引用しながら、人生一寸先に何が起こるかわからない。だから「運と適応」が大事。偶然の出来事に備えるには「適応力」だと。人はどうしても見たいものしか見ないという欠点があるけれど、見たくないものも見ながら自分を育てるためには、読書が何より大切と説いていました。
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2020年07月28日

NO...5742

リネツの帰り、Bさんに会うと「映画見た後、3時半に遊びに行っていい?」一瞬コロナが、頭をよぎりましたが、まあ大丈夫だろう「どうぞ、どうぞ」となりました。BさんN氏と会ってみたいと言っていたので、N氏にも声を掛けて三者会談。
今日はお茶菓子全部食べちゃってないので、ナスのおやきをつくることに。まず、@ 薄力粉とベーキングパウダーを練って置き、A もう一方でナスを細かく切り油で炒めて砂糖と味噌とすこしのだしの素、最後に片栗粉を水溶きしてポロポロしないように。
ここでランチを食べ、その後、B 皮にする小麦粉の練ったのをいくつにかに分けて、それぞれをお皿型に。そこへナスを適当に入れて包み、C ごま油を焦げない程度に引いて、焼きました。
2人が来ました。話はあっちに飛んだり、こっちに飛んだり。楽しい時間はあっという間に流れました。同じ建物の住人になったきっかけについて話すと、N氏は慎重にたくさんの建物を見た末の決断。わたしは夕方犬の散歩に来て、オープンハウスの旗を見て、部屋を見に入り即決。Bさんは他も見たけれど、部屋が細かく分かれていたところより、ここの間取りの方がのびのびしていたことで決めたと。
今日のおしゃべり会で、残ったものは「知恵の大切さ。知識ではなく知恵」。これはものの判断の一番下敷きになる、そんな話が出ました。
posted by akino at 00:52| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月27日

NO...5741

Vivaさんからメール添付された新聞記事が来ました。一番面白かったのは曽野綾子氏の「害毒と共存する人間」。
『「帰宅時には一応手を洗うが、しっかり洗う習慣がない」自分は(曽野綾子)はときどき途上国に行くので、そういう国で病気にならないために不潔に慣れておく必要があると心では思っている。けれど、今時こんなことをあまり人には言えない。ほんとは生きている限りウィルスは体の中に入ってくるから、それを殺す力が体の中にあるかないかだ。昔、外地に行く兵隊は、食中食後には水を飲むなと言われた。食事時にお茶など飲めば胃酸が薄まるので、外部からはいる菌を殺せなくなるからだと。人は体にいいものだけを摂取するのではない。体に敵と思われるものも摂取しなければ生きていけない。そしてその毒害を体内で薄める機能も備えられているのだ。その複雑さが人間の素晴らしいところだ』
どうです。この威勢の良い論の展開は〜。
実はわたしもどちらかというと、この考え方に近い。だからと言って、今、世界中がコロナで苦しんでいる時に、「わたしはコロナなど平気よ」などと言える自信はありません。そしてもし、みんながそんなことを考えたのでは1918年から20年まで流行ったスペイン風邪のように死人が5000万人とも1億人とも言えるほど出て、手がつけられなくなるかもしれません。
posted by akino at 00:00| Comment(5) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする